魔王の自室とは比べようもない程粗末な部屋の簡素なベッドの上、男は魔王に組み敷かれていた。
そのくせ、魔王は緊張した面持ちで、ぐっと体を強張らせている。
どうしたらいいのか分からないのだろう。
男も自ら動くような事はせず、内心エライ事になったと思いながら、心のどこかでは今の状況を楽しんでもいた。
そもそも、なぜ城下の外れの粗末な家の一室で、このように魔王と男が対峙する羽目に陥ったのか。
男は原因である金髪の女を思い浮かべる。
(恨みますよ、ツェリ様……)
男の気持ちが、女に伝わることはない。
この国一の恋愛至上主義である女は、男と肉体関係にあった。
国外での潜入任務が多い男と、恋愛旅行と銘打って世界中を飛び回っている女は、国外で何度も体を重ねた。
しかし、両者が国内に戻ってきている時に、女から男へ呼び出しがかかったのは初めてのことであった。
訝しく思いながらも、男は刻限通りに待ち合わせ場所である粗末な家に訪れたが、そこに女の姿はなかった。
あのゴージャス美人がこんな場所を指定してくる時点でおかしいとは思っていたが、やはりからかわれたかと男が踵を返そうとした時だ。
家の奥から、ガタンと物音が響いてきた。
男は瞳を細くして、周りの気配を伺う。特に怪しい気配は感じられないが、職業柄念には念を入れて、慎重に様子を伺い続けた。
物音を立てず、気配を殺して、そっと音のした方へ向かう。
玄関から居間を抜けると、その先には短い廊下が続いていた。ざっと視線を走らせ、通路の両側に古ぼけた扉が二つ、そして正面突き当たりに他二つに比べればいくらか新しい扉が一つあることを確認する。
その間にも、奥からはガタガタと小さな音が響いてくる。
それは、正面の扉の先から聞こえてくるようだった。
音の質からするに、小動物ではない。人である可能性は大きい。
男はゆっくりと短い廊下を進む。両側の扉は無視をして、正面の扉に意識を集中させた。
音は止んでいる。しかし、気配はある。玄人の罠という訳ではないようだが、そう思わせる罠である可能性もある。
男はドアノブに手をかけ、勢いよく扉を開け放った。
男自身は部屋に飛び込むような事はせず、扉を開け放つと同時に体二つ分程飛び退き、屈んだ姿勢で扉へ視線を向ける。
ギィギィと音を立てて、扉が揺れていた。
何かが襲ってくるような事はなく、暫くしても部屋から誰かが出てくることも、他の場所から襲われるような事はなかった。
男はすっと立ち上がり、部屋の中へと足を踏み入れる。
部屋には粗末な椅子が二脚と、丸く脚の長いテーブルが一つ、そして簡素なベッドがあるだけであった。
しかし。
ベッドの上には猿ぐつわを噛まされて、縛られ寝転がされている少年が一人。
真っ黒な髪と、真っ黒な瞳が、まっすぐ男の視界に入ってくる。
少年は、この国では誰も間違うことの出来ない、たった一人の双黒の魔王その人である。
驚きに満ちている男と対照的に、ホッとしたような顔をする魔王に、男は一体何が起こっているのか皆目検討もつかなかった。
「ふぉふぁっふ!」
魔王に呼ばれ、男はハッと我に返る。
「坊ちゃん、一体なんだってこんな所に……」
男はベッドに近付き、ベッドと魔王の背中の間に手を忍ばせ、そのままぐいっと起きあがらせる。
びくりと魔王の体が揺れ、魔王の瞳が困惑の色を浮かべていたのを、男は見逃さない。
猿ぐつわを外してやると、魔王は優れない顔色のまま何度か忙しなく呼吸を繰り返しながら助かったと小さく呟いた。
そのまま男は体中を雁字搦めにしている縄も外していくが、男の無骨な手が魔王の体に触れる度に魔王の体が揺れる。
嫌な予感が、男の中を駆けめぐる。そして、そういう予感は外れたことがない。
「坊ちゃん、まさかくす……」
「いやー、助かった助かった! ヨザックが来てくれなきゃ、あやうく三途の川を渡るところだった」
魔王は大きな声で、男の言葉を遮る。
嘘や誤魔化しが下手な魔王の行動は、あまりに分かりやすすぎるのに、本人はそのまま言葉を言い続ける。その話題に触れてくれるなと言う合図でもある事は男にもしっかりと分かっているが、これはどう考えても触れずにいていい問題ではない。
「サンキューな、ヨザック。だけど縛られただけで何ともないし、さっさと帰……ぎゃあっ!」
試しに男の指が魔王の首に触れると、魔王は悲鳴を上げて体を跳ねさせた。
触れられた首筋を押さえ込んで、耳まで真っ赤に染めながら魔王は男を睨め付ける。
潤んだ瞳と真っ赤な顔で睨まれても、男は勿論怯むことなど無い。
「やっぱり、薬か何か打たれてますね。だめでしょー、坊ちゃん我慢しちゃあ。そう言うことはすぐに言って下さらないと」
ね?と男が魔王の顔を覗き込むと、魔王はパッと顔をそらしてしまう。
「頼むから、触らないでくれ……」
「感じちゃうんですか?」
「かっ……! そーじゃなくて! なんか、ゾクゾクするんだって」
ふーんと言いながら、男の手が魔王に伸びる。耳に触れると、びくびくと細かく魔王の体が震えた。
「だ、めだ。やめろよヨザック」
本来、魔王の言葉は絶対だ。男は魔王に従うのが筋なのだから。
けれども、男は従わない。
「ちゃんと確認しないとダメでしょう。どこを触られるとゾクゾクするのか、把握しておかないと」
「しなくていいから! な? もう帰ろうってば。城に戻る頃には治ってると思うし、城なら医者もいるだろ」
「あのね陛下、その薬は多分、下手に動くとかえって辛くなりますよ。だから、オレの言うこときいて大人しくしてて下さいね」
「やめろ!!」
ベッドから起き出そうとした魔王の体を、男の手が押し戻そうとする。
魔王は大きく拒絶をして、男の手を振り払おうとするが上手くいかず、振り払うどころか男共々ベッドに倒れる結果となる。
はぶっと魔王の口から呻き声が漏れた。魔王の体はベッドの固いマットレスではなく、服の下に隠れてはいるが男の見事な筋肉の上に投げ出されたからだ。
「ごめ、ヨザック」
男の胸から顔を上げると、そこには彼らしくない真面目な顔で、魔王の瞳をまっすぐに見つめている姿があった。
その瞳と視線がぶつかった瞬間、魔王の体を緊張と今までにないゾクゾクとした感覚が走り抜けていく。
男はそんな魔王を逃がさぬよう、自分の上に跨ったままの魔王の腰をがっしりと掴んだ。
「あ、ヨザ……」
魔王の口の中が乾いていく。
それは、打たれたらしい薬のせいか。それとも、魔王の体を支配しようとしている、押さえきれない欲望のせいか。
「はい、陛下」
「どうしたら、いいんだろう。体が、うずうずするんだ」
魔王の問いに、男はにっこりと笑った。
「薬の効果を切らしたいんなら、陛下の体がなさりたいようにすればいいんです。オレは、言われれば何だってお手伝いしてさしあげますよ」
その言葉に導かれるように、魔王の手が、男の顔の両横に落とされた。
男の手は魔王の腰に添えられたままだ。
周りの空気は、緊張と熱気を孕んで、二人に刺激を与える。
そうして、今に至る。
Next>>
<戻る