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回廊の密事



 回廊の向こうから見覚えのある姿が歩いてくる。
 向こうもこちらに気付いたのか、一瞬にして表情が明るくなった。
 駆け寄ってくる様はこう言っては何だけれど、子犬のようだ。
 尻尾があったら千切れんばかりに振っているだろうと思わせるほど、明るい笑顔で彼がやってくる。
 本当に千切れんばかりに尻尾を振っているのは自分の方だが、幸い自分には尻尾は生えていない。
「グントラム!」
 彼は名前を呼びながら、手を上げてそのままブンブンと振り回す。その手と一緒に振り回されているのは書類ではないのだろうか。
 視線をそちらへ固定していたせいか、それとも顔に出ていたのか、彼はハッと己の手を見上げて、ばつが悪そうに笑った。
「どこ行くんだ?」
「ちょうどそちらへ資料の説明へ行くところだったのですが、閣下がお出掛けになるのでしたら、日を改めてまた参ります」
「いや、グントラムと一緒に帰るから問題ねーよ」
「ご用事はよろしいのですか?」
「ほい」
 差し出されたのは多少よれよれになってしまった書類だ。
「リウからの伝言。出来れば十日以内に修正点を纏めて提出して下さい。だってよ」
「承知致しました、とリウ殿にお伝えください」
「おう!」
 くったりしている書類を受け取り、その場でざっと目を通す。
 既に協議を重ねている案件だけに、そう気になる点もない。いくつか細かい項目を修正するだけで良さそうだった。そんなに時間をかけずとも済むだろう。
 こちらの用件を済ませたら、そのまま彼の城に用意してもらった部屋へ籠もった方が良さそうだ。
 急ぎの仕事は総て片付けてきたので、問題はない。
 顔を書類から上げると、じっとこっちを見ていたらしい彼としっかり目があった。
「は、申し訳ありません! 閣下の前で考え事など」
「いや、それ渡したのオレだし、格好いいグントラムも見られたから気にすんな」
 にかっと悪戯っこのように笑う彼は、今何と言ったのだろう。
「閣下! からかうのは……」
「からかってねーって。剣振ってる時も格好いいけどさ、そうやって仕事してる時のグントラムはすげー格好いいと思うぜ」
 仕事の出来る男って感じでいいよなと、彼は屈託なく言うけれどこちらとしては照れるばかりだ。
「……ありがとうございます、光栄です」
 書類で顔を隠して、そう言うのが精一杯だ。
 顔が熱い。
 回廊の中は温度が一定に保たれていて、普段ならば涼しいぐらいだと言うのに今日はやたらと暑い気がしてしまう。
 彼に褒められるのは嬉しいのだが、どうしても照れが先に来てしまう。気恥ずかしくてたまらないのだ。
「ははっ、真っ赤」
 彼の手が、赤く染まっているらしい耳へと伸びてきた。
 いい年をして恥ずかしい事この上ない。
 耳の輪郭をなぞるように動く彼の指先は、気のせいだろうか少し熱く感じる。
 書類を下ろし彼を見れば、相変わらず笑っていた。
「なあ、キスしたい」
 真っ直ぐな瞳は、キラキラと輝いているようだ。回廊に満ちる不思議な光のせいだろうか。
 耳を少し引っ張られ、そのまま腰を屈める。
 触れるだけの軽いキスを、チュッと音を立てて何度か繰り返す。
 両の頬へ、額、瞼、そうして、唇。一瞬目を合わせて、少しだけ深く口付ける。
 耳を引っ張っていた彼の手は、いつの間にか首に回されていた。
「もっとしてえ」
 おねだりをしてくれる彼は可愛いことこの上ないのだが、彼の要望に応えるには場所が悪い。
「閣下、大変嬉しいのですが、ここでは……」
 回廊はいつ誰が通ってもおかしくはないのだ。そんな場所で流石にこれ以上は憚られる。理性も止めておけと煩いぐらいに警鐘を鳴らしているので、ここは大人しく理性に従うべきと判断し制止を試みた。
 出来る事なら彼の期待に応えたいが、彼には立場というものがある。そうそう人の通らぬ場所と言えど、ランブル族は普通に利用しているし、近郊の国々に散った仲間達もここを利用している。最中に誰かに見られるのは好ましいことではない。
「じゃあもう一回だけな」
 そんな葛藤を知ってか知らずか、彼はぐいっと首を引き寄せ、口付けてきた。
 つんつんと唇を舌で刺激され、思わず引き入れてしまう。
 口内に侵入してきた彼の舌が擽るように舐め回してくる。
 もどかしい刺激と、それに伴う下半身への血液の集中を感じながら、彼の舌を捕らえ絡ませた。
 ぬるりとした感触にぞくぞくと快感が背筋を駆け巡っていく。
「ん……」
 主導権を奪い、舌を彼の口内へと押し戻す。そのまま追いかけるように彼の口内へ入り、絡ませ、舐り尽くす。
 上あごを舐め回すと、彼はビクビクと体を震わせて、支えを欲しているのか背中を掴んできた。
 彼の背中へと腕を回し、しっかりと抱き込む。その間も口内を蹂躙する事を休みはしない。
 抱き込んだせいで彼の下半身が足に当たっていた。確実に芯を立てている彼の足の間へ、己の足を割り込ませる。
「ん!」
 膝で軽く押すようにグリグリと刺激をしてやると、彼の膝から力が抜けていくのが分かった。
 ほんの少し前に理性に従おうとしたばかりだというのに、結局はこの有様だ。彼を刺激し、彼を少しでも悦ばせたいという願いから、逃れることが出来なかった。
 情けない話だ。
 それでも、彼の目元がとろんとしているのを視界の端にとらえた所で、どうにか唇を離す。
「閣下、大丈夫ですか」
「ダメだ、すっげえ気持ち良い」
「閣下……」
 どうしてそう臆面もなく言えるのだろうか。彼の素直さは凶器だ。どうにか抑えた理性が悲鳴を上げている。
 場所が回廊で良かった。もし自室であったならば、そのまま行くところまで行ってしまっていた事だろう。
 乱れた髪を整え、咳払いを一つ。
 それで、噎せ返る程辺りに満ちていた空気を散らしてしまう。
 彼は少し残念そうではあったが、咳払いで察してくれたのかしっかりと立ち上がると、手の甲でぬらりと光っていた唇を拭った。
「グントラム」
「はい、何でしょう」
「こっち来たって事は、今日はもう向こうの仕事ないんだろ?」
「ええ。片付けてから参りました」
「じゃあ泊まってくよな?」
 期待に満ちた瞳に見詰められ、否を言えるはずもない。受け取ったばかりの仕事をやってしまおうと思ってもいたので、元よりそのつもりではあったのだ。
 ただ、彼は城に泊まれと言っているわけではないだろう。
 その場合は、わざわざこうして尋ねはしまい。彼の城にある自分用の部屋には、今まで幾度となく泊まっている。
 だからこれは、そういう事なのだと自惚れていいはずだ。
「閣下のご迷惑にならないのでしたら、是非」
「よし! じゃあ仕事早く終わらせねーとな」
 彼は来た方向へと歩き出す。足取りに迷いはない。
 彼はいつもそうだ。真っ直ぐ前を見つめて、歩いて行く。周りはそれを支え、フォローし、彼についていく。一緒に前を見るために。
「早く行こうぜー」
 差し出される手を取るべく、三歩先行く彼を追い掛ける。
「はい閣下」
 握った手は太陽のように温かかった。



end
2010.05.21
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