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こども



 ツナにとって、ランボがそうであるように、フゥ太もまたいつまでも子供であるような気がしていた。
 十年前、当時のツナは十五歳のランボは酷く大人のように思っていた。
 確かに五歳のランボと十五歳のランボだけを見たならば、その変わり様はすごいと思ってしまうだろう。
 けれど、共に十年を過ごせば成長は緩やかで違和感などない。自然と十五歳のランボを受け止めることが出来る。
 伊達男になったというのは、やはり十年前と変わらない評価ではあるが、それでもランボ自身が大きく変わったとはあまり思えない。
 伊達男の今だって、十分子供なのだ。
 それは、今は殺し屋を引退し、一人日本で頑張っているイーピンもそうだった。今のツナからすれば、イーピンだってまだまだ子供だ。
 ずっと共に過ごしてきたからかもしれないし、十年前に幾度となく会っていて慣れていたからかもしれないが、今のツナはこの二人を他人のように、大人のように感じた事はほとんどない。
 けれど――。
 けれどフゥ太だけは例外だった。
 ツナとフゥ太との間には、ランボやイーピンとは違う空白の時間がある。
 今から三年前、フゥ太はツナの前から姿を消した。そのせいかもしれない。
 ツナは、フゥ太の変わりようにえらく驚いてしまったのだ。
 子供の頃から整っていた顔。
 今も整っているのは変わらない。
 けれどフゥ太から子供の頃の無邪気さは消え、随分と大人の男の風貌になっていた。
 子供の甘さではなく、大人特有の甘い顔。
 年齢ももう二十を数えるのだから、当たり前なのかもしれない。
 それでも、ツナにはそれはフゥ太ではない違う男のように感じてしまう。
 昔とは笑い方が違うのだと気付いたのは、フゥ太がツナの前に再び現れてから二回目の会見の時の事だ。



***



 古ぼけたドアが開き、中から顔を覗かせたのは紛れもなくフゥ太であった。
「ああ、来てくれたんだね、ツナ兄。それにリボーンも。久しぶり、さあ、入って」
 三年前までは確かにツナよりほんの少し小さかったフゥ太は、今やツナより頭一つ分も大きい。
 長く細い四肢と、ゆるやかで無駄のない動作は、まるで作り物のようだとツナに感じさせる。
 殺風景な部屋は、フゥ太に指定されたホテルの一室で、ツナの護衛はリボーンだけ。獄寺と山本はホテルの外で待機をしていた。
 ツナは入り口に近いソファに腰掛け、リボーンはその横に並ぶ。
 フゥ太は部屋の奥から紙を一枚取り出して来て、ツナの正面に腰を下ろした。
「久しぶりだね、ツナ兄。それとも、ボンゴレ十代目と呼んだ方がいいかな」
「ツナ兄で構わないよ。その方が慣れてるしね」
 ツナがそう言えば、フゥ太は
「そう? 良かった。僕もその方が呼び慣れているから、助かるよ」
 と、にこりと笑う。その笑顔にどこか引っかかりを覚えながらも、ツナは話を進める。
「それでフゥ太、お前この三年一体何してたんだ?」
「それはまたの機会にね。それより、ゴッビファミリーのランキングが欲しいって、この前リボーンに聞いたから調べておいたよ」
 いるよね?と聞かれれば、ツナはボスという立場上頷くしかない。
 ゴッビファミリーは最近手を焼いているマフィアだ。フゥ太のランキングがあれば、ゴッビファミリーを潰すのが容易になるだろうとは幹部の誰もが思っていたことなのだから、ここで折角のランキングデータを断る理由は見あたらない。
 じゃあ今から書き写すから待っていてと、フゥ太は相変わらず大きなランキングブックを開いて、別の紙にデータを書き写し始めた。
 この調子では、三年間の事は聞いても教えてはくれないのだろうと、ツナは諦め息を吐く。
 リボーンは何も話さないし、フゥ太はランキングデータを書き写すのに忙しく、ツナは手持ち無沙汰だ。
 こういう時ほどボスらしく堂々と座っていろとリボーンは言うけれど、それがなかなかうまくいかない。
 キョロキョロしているよりはよっぽど良いだろうと、視線をフゥ太に投げる。
 三人だけの部屋の中、三年会わないうちに随分と身長が伸び、顔つきも大人らしくなったフゥ太をしげしげと見つめていると、それに気付いたのかくすりと笑われた。
「そんなに見ないでよ、ツナ兄。そんなに変わったかな?」
 フゥ太が顔を上げる。
 しかし手は休むことなく動いているのだから、大した物だとツナはそんなところで感心してしまった。
「ああ、随分変わった。大人っぽいっていうか、男らしくなったな」
 この前はバタバタしていたから、あんまりゆっくりフゥ太の事を見られなかったしとも、付け加える。
 この前というのはツナとフゥ太が再会した日のことであり、その日フゥ太はやぁツナ兄とやってきて、今度ここに来てと紙切れ一枚を渡しただけで去っていたので、ツナが驚いている間に再会は終わってしまったのだ。
 だから、今日が実質の再会という事になる。
「うん、あの日はちょっと時間がなくてね。でも、ツナ兄に少しでも会っておきたかったから」
 なぜかと聞こうとすると、またにっこりと笑われた。
「秘密。自力で考えて」
 その顔は、確かに笑っているのだけれど、どこか裏があるようなそんな笑顔だった。
 もしくは、ツナをからかって楽しんでいるかのような、そんなどこか意地の悪さが潜んでいる笑顔。
 ツナの背筋に、ぞくりと悪寒が走る。
「さ、ツナ兄確認してくれる?」
 フゥ太はペンをテーブルの上に置き、ランキングデータを書き写した数枚の紙をツナの方へ差し出す。
「あ、ああ、うん」
 紙を受け取り、内容にざっと目を通す。
 ゴッビファミリーに関する様々なランキングデータが、そこには記されていた。
 主にボスやヒットマンの潜んでいる場所、麻薬倉庫の規模、次に手を組みそうなマフィアなどだ。
「助かるよフゥ太。あとで謝礼を持ってこさせるから、額は好きなだけ言って構わない」
「お金はいらないって、昔から言ってるよね。それより、少しだけツナ兄と二人きりで話がしたいんだけど」
 フゥ太の視線はまっすぐとツナに向けられていて、ツナが頷くのを待っているようだった。
 ツナはフゥ太をまっすぐ見ることが出来ず、リボーンの方へ視線を向けた。
「……終わったら携帯で呼べ。勝手に部屋から出るなよ」
 無表情のまま、リボーンはそう言い、部屋を出て行く。
 すれ違い様、レオンがぎょろりとフゥ太を見ると、フゥ太は優しく笑む。
 レオンの瞳は、時々リボーンのもう一つの目であるかのように、ツナは感じていた。
 今レオンを通して、リボーンがフゥ太に何かを言っているのではないかと、そんなあり得ない事を考えてしまうほどに。
 バタンと扉が閉まり、部屋にはフゥ太とツナの二人だけとなった。
 少し、居心地が悪い。
 フゥ太の方へ視線を向ければ、フゥ太はツナをじっと見ている。
 顔は、笑ってはいない。無表情と言っても過言ではない。
「ダメだよツナ兄。もうボンゴレの十代目なんだ。もっと堂々としていなくちゃ、ね」
 口元に手を当てながら、フゥ太が言う。
 いくらツナでも、部下の前や他の人間の前でならば、こんなに視線を泳がせたりはしない。
 しかし、フゥ太の前だと考えれば考えるほど、視線をフゥ太に真っ直ぐ注ぐことが出来ない。
 これは本当にフゥ太なのかとさえ、思ってしまう。
 あまりに、三年前と持つ雰囲気が違うのだ。
 じっとりと、手が汗ばむ。
「緊張してるの? 僕が本当は違う人間なんじゃないかと、疑ってる?」
 嫌になるぐらい、見透かされている。
 ツナは、自分が嫌な汗をかき始めている事に気付いた。
 リボーンがいなくなった事で、こんなにも追いつめられる。
 仮にも、ボンゴレファミリーのボスともあろう人間が、こんな年下の子供にだ。
「僕は僕だよ、ツナ兄。そうだね、証拠にランキングして見せようか」
 ツナが何かを言う前に、フゥ太は立ち上がり天井を見上げる。
 フゥ太の瞳には、今宇宙が映っているように、ツナには見えた。それは、ランキングをしている時のフゥ太の瞳だ。
 それは、昔と変わらない。ランキングをしている時のフゥ太の瞳は、三年前とも、十年前とも変わっていない。
 ふわりと周りの物が宙に浮かび始める。
 フゥ太は子供の頃のように、ランキング時に言葉を呟くことはしなかった。
 成長するに従って、言葉に出さなくともランキング星との交信が出来るようになっていたからだ。
 それは、三年前までは共にいたから知っている。
 確かに今目の前にいるのはフゥ太なのだろう。少し成長し、纏う雰囲気が変わっただけで、フゥ太には違いない。
 それは、ツナとて分かっている。
 フゥ太がすっと目を閉じると、周りの物がゆっくりと落下していく。
 ランキングが終わった合図だ。
「ツナ兄が今恐れているものランキング、第一位は僕、だね」
 穏やかな表情で、フゥ太が言う。
「そんなことは……」
「僕のランキングは、ほぼ絶対だよ。今日は快晴だしね」
 窓から外を見れば、広がっているのはただただ青い空。
 ランキングを邪魔する雨は、降ってはいない。
「何が怖いの、ツナ兄」
 フゥ太が一歩、ツナへ近寄る。
「僕が、変わったから?」
 もう一歩。
 更にもう一歩と、ツナとの距離が縮まる。もともと、ツナとフゥ太の距離はテーブルのこちらと向こう側分しかなく、そんなには離れていない。
「僕が、子供では無くなったから?」
 フゥ太はツナの目の前までやってくると、その場に片膝をついた。
 ソファに座ったままのツナを見上げる瞳は、ランキングをしている時のフゥ太とは、違う瞳。
 まるで大人の男のような、その瞳。
 その瞳から、ツナは逃げられない。そらすことが出来ない。
 ツナの乾き気味の口が、言葉を漏らす。
「フゥ太はまだ、ランボやイーピンと変わらない、子供……だ」
 そのツナの言葉にはどこか、自分に言い聞かせる節も感じられた。
 それを感じ取ったのか、フゥ太は瞼をおろして、ゆっくりと首を横に振る。
「いつまでも子供扱いされても、困るんだけれどね」
 苦笑して、ツナよりもずっと大人のような瞳を、ツナに向ける。
「ツナ兄、僕はこの三年間、一人で生きてみたんだ。なんでだか、分かる?」
「オレは、お前が新しい居場所を見つけたか、オレに愛想が尽きたんじゃないかと思っていたよ」
 そう言えば、フゥ太は笑った。
「そんな訳ないよ。僕には、ツナ兄の側が一番居心地がいいんだから。僕はね、ツナ兄の荷物になりたくなかったんだよ」
 自分の膝の上に置いていたツナの手に、フゥ太の手が重なる。
 その手は、細くしなやかだけれど、決して女性的ではない。銃など握らず、ただランキングブックとペンだけを握るフゥ太の手。
「ツナ兄のお荷物にならないように、一人でどれぐらい出来るのか試したかったんだ。二十歳までって、区切りをつけてね」
 意味深なフゥ太の視線を受けて、ツナははっと気付く。
 この前、フゥ太と再会した日は……。
「そうだよツナ兄、あの日は僕の誕生日だったんだ」
「悪い……今気付いた」
 三年前までは共に祝ってきていたのに、ころりと忘れていた。
 ツナの心が、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。誕生日を忘れられるのは、結構辛い事だとツナはよく知っているのだ。
「そんな顔しないでよ。あの日は、ツナ兄に会えただけで十分過ぎるほどに幸せだったんだから」
 ぎゅっと、手を握りこまれる。
「あの日、三年ぶりに見るツナ兄は以前と比べてかなりボスらしくなっていて驚いたよ」
 見た目は、全然変わっていないのにねと、フゥ太はツナの顔をのぞき込む。
 近付く顔に、解けかけていた緊張がまたツナの体に戻ってきた。
 ツナの周りには整った顔立ちの人間が多くいるが、その誰もが性質の違った美しさを持っているのと同様、フゥ太もまた誰とも違っている。
 甘く優しいくせに、意地悪でもある。
 今、この顔で子供の頃のようにお願いをされたら、今は今で断ることは出来ないだろうと、ツナは思う。
 守ってやらなくてはならない小動物という感じは、もうしない。
 小悪魔のような、そんな魅力を、今のフゥ太は備えている。
「そんなツナ兄に、僕はたった三年で見合うだけの男になれたのか、自信はないんだ。でも、自分で決めた区切りだったし、それにいい加減……」
 フゥ太は左手をツナの頬にそっと添えた。
 右手は、ツナの手を握ったままだ。
 顔を上げ、まっすぐにツナを見つめてきたかと思うと、一瞬のうちに鼻同士が触れ合うほどの距離まで顔が近付いていた。
「ツナ兄が恋しかった」
 囁かれ、ちゅっと、音がしそうな軽いキス。
「……な!?」
 ワンテンポ遅れて反応するツナを、フゥ太は笑う。
「遅いよツナ兄。そんなんじゃ……僕にだってヤられちゃうよ」
 にやりとするフゥ太に、そっと押し倒された。
 柔らかいソファに、ツナの体が沈む。
 ツナの上にのしかかるフゥ太は、しっかりとツナを固定して動けなくしてしまう。
「子供だと油断していると、痛い目見る事、覚えておいた方がいい」
 ツナの上で、ぞっとするほど、フゥ太はキレイに微笑んだ。
 もうこの子供が、子供などではなく、紛うことなき大人の男であると、ツナは認めざるを得なかった。



***



 ホテルの前。黒塗りの車の中に、電子音が響く。
 リボーンはその小振りな携帯電話を取り出し、通話ボタンを押す。
「終わったのか」
『終わったよ』
「じゃあ迎えに行ってやるよ、ボス」
『待ってる。……ああ、あと』
「なんだ?」
『屋敷に部屋を一つ、用意しておいてくれないか』
「……ファミリーでないヤツは、お前と同じ階には出来ないぞ」
『分かってるよ。だから、屋上に一番近い部屋が空いてたろ。あそこでいい』
「星がよく見えるからな、あの部屋は」
『そういう事だよリボーン。じゃあ頼んだ』
 そこで、ブツッと通話が切れる。
 リボーンは小さく舌打ちをして、助手席で後ろの様子を伺っている獄寺に屋敷に電話しとけと言い放ち、車を降りた。
「まさか、ランキング小僧がくるんですか?」
 眉間に皺を寄せ、獄寺が助手席の窓を開けてリボーンに尋ねる。
「そうだ。だからお前はそのままそこに乗ってろ」
 獄寺の眉間の皺が、更に深くなった。
「不満か」
「十代目をお守りするのがオレの務めです。それに、こいつの隣なんて勘弁して下さい!」
 獄寺がそう言えば、運転席の山本がくつくつ笑う。
「笑ってんじゃねーよ!」
 怒鳴る獄寺をまぁまぁと軽くいなしながら、山本は獄寺の先にいるリボーンの方を見る。
「でも、オレもこいつに賛成。こいつは後ろの方が良くないか? お前側はいいけど、あいつは確か戦闘出来ないんだろ。ツナのこと守れねーんじゃねーの?」
「お前らは過保護にしすぎだ。ツナはダメなヤツだが、自分の身ぐらい守れる」
 そう言って、リボーンはホテルへ向かう。
 その黒い姿がホテルの中へ吸い込まれた後、山本は再びくつくつと笑った。
「何だかんだで、チビが一番過保護な気がするけどなー」
 こうして自ら迎えに行ってる訳だしと言えば、隣の獄寺は十代目をお一人で歩かせるなんて出来るかと噛みついてきた。
「ま、それはともかく、さっさと電話しちまえよ。ツナのお願いなんだろ」
 山本がそう言えば、ちっと舌打ちをしながら、獄寺は携帯電話を取り出しながら、車の外に出る。
 ぼそぼそとツナの屋敷に電話をして、部屋の掃除を指示していた。
 山本はぼーっと運転席からフロントガラス越しに空を見る。白い月が見えた。
 獄寺の電話が終わったのか、静かになってので山本は視線を助手席側の窓に向けた。
 ちょうどホテルの入り口が開いて、中から人が出てきたところであった。
 山本はホテルから出てくる我らがボスと、その左隣の小さな殺し屋、そして右隣の懐かしく新しい同居人を見て、目を細めた。



end
2005/04/02
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