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星の流れる場所



 フゥ太とランキング星は常に共にあり、雨に邪魔される事もあったけれど、その結びつきは強固で揺るぎがたいものであるとフゥ太自身は思っていた。
 この力があるが故に沢山の人間に狙われもしたが、沢山の人間に出会い、愛することも出来たのだ。
 この力がフゥ太の全てであり、フゥ太にとって絶対であった。
 フゥ太の心には常にランキング星があり、ランキング星もまた、フゥ太の存在を常に感じているようだった。
 それが、食い違うようになったのはいつからか。
 もう、フゥ太には思い出すことが出来ない。



 その日は気持ちの良い快晴で、フゥ太はボスとしての仕事に励んでいるツナの後ろで、空を見上げていた。
 今この部屋にはツナとフゥ太の二人しかおらず、静かだ。
 音楽もなく、薄暗いけれど電気などもつけず、窓から差し込む窓の明かりでのみ照らされる部屋は寂しい。
 フゥ太が窓際に立っているため、部屋の光量は少ない。
 ツナは手元の書類に目を細めるが、よく見えないようだった。ふぅと溜息をついた後、フゥ太の方を振り向かずに言う。
「フゥ太、暗い」
 フゥ太は視線を空からツナへ向け、部屋の暗さを再確認して笑った。
「電気をつければいいのに」
「……電気代高いだろ、こっち」
 ツナの言うこっちというのはイタリアという国であり、あっちといえば彼の故郷日本のことである。
 確かにイタリアの電気代は日本のそれを比べれば高いだろうが、巨大なマフィアのボスともあろう者の言う事ではない。
「お金には困ってないんだから、こんな所で節約しなくてもいいんじゃない?」
 大体、廊下やあちこちの部屋の電気はつけっぱなしだ。
 この部屋だけ節電をした所で、電気代が大して変わるとも思えない。
「オレが電気をつけたくないんだよ。薄暗い方が落ち着くだろ」
 仕方ないなぁとフゥ太は窓から離れる。
 大体、ツナがどけと言えばフゥ太には最初からどくという選択肢以外無いのだ。
 フゥ太はツナと机を回り込んで、黒い革張りの高級ソファに体を深く沈ませた。
「あんまり暗くしていると、目が悪くなるよ」
 ツナの方を見ずに、フゥ太は瞳を閉じてそう言った。
「あー、うん」
 気のない返事をして、ツナは明るさの増した手元の書類に視線を落とした。
 明るくて見やすくなったのか、目の動きが速くなっている。
「ねぇ、ツナ兄」
「なんだ」
「暗いね」
「ああ、暗いな」
「真っ暗だね」
「…………」
「本当に、真っ暗だ」
「……フゥ太?」
 ツナの声が、訝しげになる。
 フゥ太はそっと瞼を開けて、ゆっくりとツナの方へ首を廻した。
 ツナは、声そのままに訝しげな表情をしていた。
 手を止めて、視線を真っ直ぐにフゥ太へと向けている。真っ直ぐに見られていることが嬉しくて、くすぐったい気持ちになった。
 フゥ太はほんの少し、笑う。
「そんな顔してると、ボスの威厳がゼロだよ、ツナ兄」
「何かあったのか?」
「何も」
 首をふるふると左右に振ると、長くなってきている前髪も一緒に揺れた。
 瞼に刺さって、むず痒い。
「なーんにもないんだよ、ツナ兄」
 にっこりと笑えば、ツナの表情はますます曇る。
 フゥ太は困ったように笑って、沈めていた体を浮き上がらせた。
 長い二本の脚で、しっかりと床を踏みしめるとそのまま部屋の扉まで進む。
 ツナの視線は、フゥ太に注がれたままだ。
「ちょっと外にいるよ」
 ちらりと首だけで振り返って、ツナにそう告げれば。
「ああ、気をつけろよ」
 ツナは、歯切れ悪そうにそれだけをフゥ太に伝えた。
 追いかけたり、問いかけたりは、しなかった。



 部屋を出て、部屋の外の見張りに自室に戻る旨を伝えたフゥ太は、迷うことなく上へと続く階段を目指した。
 フゥ太の部屋は、ツナの屋敷の一番上の階にある。
 空が近いからだ。
 ツナの用意してくれたその部屋を、フゥ太はそれは気に入っていたが、最近は戻るのも億劫になっていた。
 それをツナに悟られたくはないので大人しく部屋に戻るが、やはり溜息は零れてしまう。
 階段を上がりきり、長い廊下を渡って、自室の重厚な扉の前に立つ。
 ゆっくりと開け放つと、まず一番に空が視界を覆い尽くす。
 大きな窓は思い切り開け放たれ、無造作に置いていた紙の束が床に散らばってしまっていた。
 まるで自分のようだと、フゥ太は自嘲気味に笑う。
 こんな風に、まとまらず、まとまれず、あちこちに飛散している。
 最近のフゥ太はずっとそうだ。
 それは、ノイズのせいだった。
 いつからかは、覚えていない。
 気がついたら、ノイズが周りにいるようになった。
 こちらの声は届かず、あちらの声も受け取れない。
 もともと、雨が降れば正確に交信することは出来なかったけれど、今回は訳が違う。
 どんなに晴れていても、ノイズは消えなかったのだ。
 それどころか、声が聞こえてこない。
 今まで、雨の日には出鱈目ながらも出鱈目な声が聞こえてきていた。だからこそ、出鱈目なデータが出来上がる。
 けれど、今はその出鱈目なデータすら作ることが出来ない。
 あまりにノイズが酷すぎて、何も、聞こえない。
 伝わらず、伝えられない。
 それは、ずっとランキング星と共にあったフゥ太には辛すぎる事実だ。
 フゥ太の周りを覆うノイズは、今も日に日に酷くなっている。それに気付いてはいても、どうにか出来るものではなかった。
 フゥ太はただ大人しく、強いノイズに囲まれているしかないのだ。
 そしてそれを、誰にも言えずにいた。
 フゥ太が今、ボンゴレの世話になっていられるのは、特殊な能力があるからだ。
 それを失いつつある事を、知られる訳にはいかなかった。
 ボンゴレの事を考えれば、勿論知らせるのが当然だ。知らせなければならない。それが、義務だ。
 けれど……。
 フゥ太は怯えていた。
 ボンゴレから放り出されること。ツナに見捨てられること(ツナ自身が、そうそう自分を放り出すことはないとは分かっていてもだ)。
 しかしそれよりも何よりも、このままノイズに囲まれたまま今後の一生を送らなければならないかもしれないという事に、フゥ太は心の底から怯えていた。



 ツナが部屋を訪れてきたのは、ある曇った夜のことだった。
「フゥ太、いいか?」
「なに、ツナ兄」
 いつものようににっこりと笑って、フゥ太はツナを出迎える。
 ノイズは相変わらず、うるさかった。
「お前、何かあったのか? 最近変だぞ」
 ツナを室内に招き入れるが、椅子を勧める間もなく彼は口火を切った。
 びくりと、フゥ太の心が揺れた。来る時が来たのかと、心臓が早鐘を打ち始める。
「何言ってるのさ、ツナ兄。何もないよ」
 そう言った瞬間、ツナの顔が強張ったのをフゥ太は見逃さなかった。顔に出てしまったのだろうかと、不安になる。
 ポーカーフェイスは、この十年で身につけてきた技の一つなのに、あっさりと看破されてしまったようだった。
 それとも、ポーカーフェイスもちゃんと出来なくなってしまったのだろうか。
 そんなにも、自分はダメになってしまっているのだろうか。そんな自分に、ツナは愛想を尽かしてしまったのだろうか。
 不安で、ぐるぐるする思考と視界。
 目の前でツナは真っ黒なスーツを着込んで、じっとフゥ太を見つめていた。
 それは何。それはどういう意味の視線なの。昔はもっと分かっていた気がするのに、今はこれっぽっちも分からない、不安だけが増大する。
「目が、死んでる」
「?」
 ツナは長椅子に腰掛けながら、そう告げた。
 フゥ太には、意味が分からない。ツナが何を言っているのか、ツナが何を言おうとしているのか、分からない。
「フゥ太さ、最近目が死んでるんだよ。自分では気付いてないのかもしれないけど、光がないんだ」
 あんなに綺麗な目をしていたのにと、ツナが悲しそうに呟く。それは、フゥ太の心を確実に揺すった。
 大きく、大きく、揺さぶった。
 こんな僕は必要ないのかな、ツナ兄。
 死んだ目をした僕は、何の価値もないのかな。
 ノイズが大きくなる。ノイズが強くなる。周りの音が、ガーッガーッザーッザーッとノイズに遮られ、聞こえなくなる。
 聞こえるのは、耳障りなノイズだけ。
 ノイズだけだ。
 ランキング星からの交信は途絶え、フゥ太にはもう何もない。
 もうフゥ太は、ただの、男だった。
 この上、ツナからも見捨てられてしまうのだろうか。
 そうしたら、フゥ太には本当に何もなくなる。何もないという証明になってしまう。そんな事は。
 そんな事は。
 そんな事だけは。
 絶対に。
 何としてでも。
 避けなければならない。
 ランキング星から見放されたフゥ太にはもう、ツナしかいないのだ。
 ツナが何かを言っている。けれど、フゥ太には聞こえない。聞こえるのはノイズだけだから。
 ねぇそれなら、何を言っているのか分からないなら、喋っていてもいなくてもどうせ一緒でしょう?
 フゥ太は何の警戒もしていないツナに、一歩近付く。
 ツナの顔が上がり、視線がフゥ太に注ぎ込まれる。同時に口も動く。名前を呼ばれているような気がしたが、やはりザーザーというノイズしか聞こえなかった。
 訝しげに潜められる眉が、なんだかとても愛おしく思えた。
 ツナの口は、相変わらず動いている。何を言っているのか全く分からないけれど、ツナは一生懸命何かを話している。
 でもねツナ兄。
 フゥ太は思う。
 聞こえなければ、意味はないんだよ。ランキング星から見放された僕に何の意味もないように、声が聞こえなければ、どんなに話しても無駄なんだよ。
 それを知らない目の前のツナに、フゥ太は薄く笑って見せた。
 ツナの表情に怯えが混じったように、フゥ太は感じた。
「ツナ兄は、僕を捨てるの?」
 屈んで、ツナの耳元でそう囁く。
 ツナの体がびくりと震えて固まったのを確認して、フゥ太はそっとその端正な顔をツナに近づけた。
「僕はもう、ツナ兄にとってもいらない存在なのかな」
 フゥ太の言葉に、ツナはただただ強張るばかりだった。
 ひょっとしたら、ツナ兄にも僕の言葉は聞こえていないのかもしれない。
 僕にツナ兄の言葉が聞こえてこないように、ツナ兄にも届いていないのだ。だから、こんなに彼の事が分からない。彼も僕の事が分からないのだ。そうに違いないんだ。
 そう思った途端に、何かがプツンと切れた。
 あんなに煩かったノイズすら聞こえない。
 何も聞こえない。
 無音。
 ただただ無音。
 ただただただただ、フゥ太の周りを無音が支配する。
 もうダメだ。
 フゥ太は呟き、そうして、ツナの薄い唇に噛みついた。



 フゥ太に組み敷かれたツナは、最初は激しく抵抗をしていたが、フゥ太に自分の声が全く届いていないことを悟ると、抵抗をやめた。
 抵抗している間に出来た打ち身や痣が、痛々しかった。
 フゥ太は大人しくなったツナの体をまさぐり、愛おしげに撫でながらも時折思い出したように噛みついたり皮膚をつまみ上げたりと、甘い快楽と鋭い痛みとを交互に与える。
 それは、今のフゥ太の不安定さの表れであったのか。
 泣きそうな顔で、フゥ太はツナの体に痛みと快楽を与え続ける。
 甘い声も甘い言葉もなく、それはさながら拷問のようですらあった。
 フゥ太の表情を目の当たりにしてしまったツナもまた、フゥ太と同じような表情になる。
 お互いに泣きそうな顔で、無言のままにひたすら体だけを求め合った。
 いつしかツナは、フゥ太を受け入れていた。
 フゥ太の性器がツナの体を貫いて、お互い果てるまでその性交は続いた。
 ツナの中にフゥ太の精液が注ぎ込まれるのを感じながら、ツナはフゥ太の頭をそっと抱き込んで届かないと分かっていても何度も名前を呼んだ。



 フゥ太はツナの体内から自身の性器を引き抜いて、息も荒いまま立ち上がった。
 引き抜いた場所から、真っ白な精液がゴポリと溢れ、ツナがその感覚にビクビクと震えたのを目の端で確認すると、酷薄そうな表情で笑う。
 ツナは床に仰向けに倒れたまま、ぼーっと天井を見ている。
 意識が飛んでいるのかも知れない。
 床での性交は体に悲鳴をあげさせたが、フゥ太は気にせず、そのまま脱ぎ散らかした服を纏いなおして、テラスへと転げ出た。
 広いテラスから夜空を見上げれば、相変わらずの曇り空。
 月も星も、何も見えない。
 音も聞こえないまま、フゥ太は笑い出した。
 あははあははと、大声を上げて。
 音が聞こえないから、本当に大声で笑えているのか、音が出ているのかどうかすらフゥ太には分からなかったが、そんなことはどうでも良かった。
 星は見えず、音は聞こえない。
 それが全てだ。
 それが全てのはずなのに、どうしてこんなにも悲しいのだ。どうしてこんなにも怖くて怖くてたまらないのだろう。
 フゥ太はがくりと崩れ落ち、その死んだ目から涙を流した。
 口からはまだあははと声が漏れ続けているが、フゥ太自身には分からない。
 ランキング星は遠く、大事であったツナもまた今や遠い存在だ。
 体を繋げたから何だと言うのだろう。ツナを犯したところで、星が戻ってくるわけでも、音が戻ってくるわけでもないのに。
 ああツナ兄、僕は僕は。
 曇っているばかりで何も見えやしないのに、視線は空に固定され、そらすことが出来なかった。
 それは、まだ諦め切れていない証拠だ。
 フゥ太は、ランキング星を諦めきれない。捨てられたのだと分かっていても、もうどんなに切望しても、自分の声は届かないのだと分かっていても、諦めきれるものではなかった。
 手を伸ばす。
 空に向かって、子どもの頃のように、子どもの頃よりずっと長い手を伸ばした。

 ぐっと、その手を掴まれる。

 ツナの手だった。
 立ち上がり、上着を羽織ったツナがフゥ太の手をぎゅっと握りしめていた。
 顔は苦しそうに歪んで、口をしきりに動かしていた。
 フゥ太と、何度も呼んでいた。
 オレはお前を見捨てないよと、叫んでいた。
 そんな事するもんかと、叫んでいた。
 音は聞こえなくても、名前を呼ばれているのだと、自分を求めてくれているのだと分かった瞬間、フゥ太の真上の曇り空に隙間が出来た。
 その隙間からはどういう訳か沢山の星が覗け、フゥ太の視線はそこに釘付けとなる、
 瞬く星の光は、弱々しく悲しい。
 きらりと筋を残して、いくつかの星が落ちた。
 こんな、ほんの少しの隙間から、流れ星がフゥ太に降り注いだ。
 真っ直ぐに落ちてくる流れ星は、フゥ太の心に当たり、弾けて消えた。
 それは、久しぶりに聞いたランキング星の言葉だった。
 別れの、言葉だった。
 フゥ太は涙が止まらなかった。



***



「どうかしたのか」
 それ、と山本の指さす先には小さな痣。
「転んだんだ」
 その痣を手で押さえて、オレ未だに転ぶんだよなーとツナは笑った。
 そんなツナにつられるように、周りの人々に笑顔が零れる。
 窓から覗く空は青く、気持ちの良い晴れだ。
 笑いが途切れた時、コンコンと、部屋の扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
 ツナの落ち着き払った声に促されるように、扉が開く。
 扉の先にはスーツをかっちりと着込んだフゥ太の姿。
 ツナが笑った。
 フゥ太もにっこりと笑った。迷いのない、気持ちの良い笑顔だった。
 ランキング星との交信は途絶えたまま。ひょっとしたら、もうランキング星はないのかもしれない。宇宙の塵と化してしまったのかも知れない。
 しかしそれは、もう分からないことだ。
 そして、考えても仕方のないことだ。フゥ太にはもう以前のような力はない。銃が扱えるわけでも、武術に長けているわけでもない。
 それでも、そんな力のないフゥ太でも、ツナは必要としてくれる。
 それが重要だった。ツナだけは、フゥ太を見捨てたりはしない。
「おはよう、ツナ兄」
 フゥ太の目は、溢れんばかりの輝きに満ちていた。



end
2005.09.13
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