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ファミリー



 背中合わせで座ると、もう自分が小さくはないのだと知れた。
 昔は自分よりも大きかったツナ兄の背中。
 追い越してしまったのはいつだろう。
 背中側から、不規則に紙をめくる音が聞こえてくる。
 さっき渡したばかりのランキングのコピーに目を通しているんだと思う。
 小さく静かな部屋の中で、その音だけが響いていた。
 こうしていられる時間は、幸せだ。日本にいた時に戻ったような気持ちになる。
 ずっと、こうしていられたらいいのに。
「ツナ兄」
「なに?」
 ツナ兄という呼び方は、今も変わらない。
 十年前からずっとそう呼んできた。
「僕もボンゴレファミリーに入ってもいい?」
「ダメ」
 十年前から、側にいた。
 十年前からずっと、隼人兄より、武兄より、ディーノ兄より、誰より側にいた。
 それなのに、それだけじゃダメになってしまった。
 それは、ツナ兄がボンゴレ十代目になってしまったから。
 昔からずっと一緒にいたのに、ツナ兄が十代目になってしまったら、一緒にはいられなくなった。
 数ヶ月前、十代目に就任したツナ兄に、ボンゴレの領域内で最も安全で、最もボンゴレの本拠地から遠い場所に専用の部屋を用意された。
 そこではツナ兄の部下達が数人、常に僕の周りを守ってくれている。
 しかし、それまでのようにツナ兄と共に過ごせる時間など、なくなってしまった。
 イタリアにやって来てからの数ヶ月間、二人きりで会えたのは片手で数えられるぐらいだけだった。
 それは、僕がボンゴレファミリーではないからだ。ツナ兄の側にいる権利は、部外者には得られないのだ。
 だったら、側にいるためには僕もボンゴレにちゃんとファミリーとして、ツナ兄に認められて入るしかない。
 ずっと口にしようと思っていた事を、ようやく言うことが出来た。
 なのに。
「フゥ太は身の安全をボンゴレから保障されてる。それで十分だろ?」
 そうじゃない。
 身の安全なんて、どうでもいいんだよ、ツナ兄。
 僕は、ツナ兄の側にいたいんだよ。
 こうやって、ランキングを買いに来るときだけしか会えなくなってしまったことが辛いんだ。
 ツナ兄と一緒にいられないことが、辛いんだ。
「十分じゃないよ。ツナ兄ともっと一緒にいたいんだ。昔みたいに!」
「ダメだったら」
 振り返ろうとすると、それを押しとどめる気配。
 こちらを向くなと、合わさった背中から伝わってくる。
 背中合わせで座っているのは、僕の顔を見ないため? 昔みたいにおねだりされても、頷かないようにするため?
「どにかくダメだよフゥ太。フゥ太はオレのファミリーにはしない。フゥ太は今まで通りでいるのが一番いいんだ」
「今まで通り? それならツナ兄の側にいることが今まで通りだよ! こんな風にツナ兄と全然会えなくなるのは、今まで通りって言わない!」
「フゥ太!」
 強く名前を呼ばれ、びくりと体が震えた。
「分かってくれよ。お前ももう大人だろ? オレの側は危険なんだ。お前には、少しでも安全な所に居て欲しいんだよ」
「それがツナ兄の望み?」
「ああ」
「ツナ兄の望みは叶えてあげたいけど、それじゃ、僕の望みはどうなるの? それに、ツナ兄の側はここよりずっと安全だよ。今までだって、ずっとそうだったじゃないか」
 最強の殺し屋が、ツナ兄の側にいる。
 フリーの殺し屋だったはずの彼は、いつの間にか当然のようにボンゴレファミリーの中に、ツナ兄の側にいるのだ。
 それは、何よりも安全である証拠ではないか。
「……リボーンは、今ボンゴレには、というかイタリアにいないんだ。どこかへ消えた。だから、前とは違う。状況が変わってるんだ」
 だからお前はここに居た方が安全なんだと諭すような口調で言われた。
 しかし、もし本当にツナ兄の言ったことが事実ならば、尚更引き下がることは出来ない。
「それなら、尚更僕を側に置いておくべきだよ! ランキングは今のツナ兄の役に立つよ! こんな遠くまで来なくても、すぐに教えてあげられる。だから、僕を側にいさせてよ!」
「ダメなんだって、何度言えば分かってくれるんだよ……」
 その困り果てた声に、もう我慢が出来なくなった。
 立ち上がり、振り返る。
 こちらに背を向けたまま、うなだれるツナ兄を見下ろして、感情のままに叫んだ。
「僕はツナ兄が好きなんだ! ツナ兄の側にいたいんだよ! だから分からない。何度言われたって、わかんないよ! ツナ兄の側にいられるだけでいいんだ。側にいられれば、それだけでいいんだ。安全なんかいらない。ツナ兄が危険の中にいて、僕だけ安全な所になんていられるわけがないよ。どうしてそんなことも分かってくれないの!?」
 興奮で顔が紅潮するのが分かる。
 自分の中に、こんなに激しい感情があったのだと、この時初めて知った。
 今まで、こんなに激しくツナ兄に感情をぶつけたことがあっただろうか。
 ツナ兄はいつもお願いをすれば大抵のことはきいてくれたし、僕は一度ダメだと言われたら大人しく諦めていた。
 だから、お互いにここまで強く相手に食い下がるのは、初めてのことだ。
 ばっとツナ兄が立ち上がる。
 僕よりも頭一つ小さいツナ兄が、きっと僕を見上げ睨み付ける。
 僕より身長は低いのに、この迫力はなんだろう。これなら、ボスとして何の問題もないだろう。
 睨まれ、怯みそうになるけれど、ここで怯んでしまったらもうツナ兄の側にいることは本当に出来なくなってしまう。
 怖いと思いながらも、耐える。
 ここが正念場なんだ。
「オレだってお前が好きだよ! だから少しでも安全な場所にいて欲しいんだ! 決まってるだろ! お前がファミリーに入ったら、お前は沢山のものに縛られる。今のようにはいられなくなるんだ。ボンゴレのために命を差し出さなくちゃいけなくなる事だってあるんだぞ。ファミリーに入るって言うことはそう言うことだ。オレは、お前にはそうあって欲しくない。オレは、お前には生きていて欲しいんだ。オレたちが例え死んだって、お前だけには生き残っていて欲しい。その力がある限り、お前は狙われ続けるだろうけど、ファミリーに入るっていうことはそういうことよりもっと死に近くて、もっと危険なんだ。もっと、重たくて危険なものを背負うことになるんだよ。そんな事は、させられないんだ……」
 ああ、ツナ兄の気持ちが心に染み込んでくる。
 僕はすごく愛されている。
 僕は、ツナ兄にとても愛されているんだね。
 でもね、ツナ兄、だったらやっぱり尚更僕を側に置いておかなくちゃダメだよ。
 もう、ツナ兄やツナ兄の仲間以外の人にランキングを教えたりはしないと僕はとっくに決めているんだ。
 だから、ボンゴレが倒れたら、その時は僕の終わりだ。
 僕は弱いんだよ。力じゃツナ兄にも敵わないぐらい弱いんだ。そんな僕が、ボンゴレの庇護もなしに生き抜けると思っているの?
 そこまで、この世界は甘くはないでしょう?
 それに、いざというとき僕のランキングにツナ兄の力が加われば、それに勝るものはないと、それはこの十年で分かっているはずじゃないか。
「……ツナ兄、抱き締めてもいい?」
 突然の思ってもいなかったらしいお願いにツナ兄は驚きを隠そうともしなかった。その顔には本当に驚いたとしか表現できない表情を浮かべた。
 それに小さく笑って、了承を待たずにぐっと抱き寄せる。
 小さいツナ兄。
 もう遅いんだ。全部遅いんだよ。
 僕はもう、とっくに覚悟をしてしまっているんだ。
 あとは、ツナ兄だけなんだよ。
「ねぇツナ兄、僕はもう、とっくにツナ兄のために死ぬ覚悟は出来ているんだ。さっきツナ兄も言ったろ。僕はもう大人なんだよ。ツナ兄の側にいたいって事がどういうことか、分からないとでも思ってたの?」
 抱き締めたまま、ツナ兄の肩に顎を乗せて話す。
 ツナ兄の手が、僕の背中に回されて、服をぎゅっと掴む。
「フゥ太……」
「だから、ねぇツナ兄、もう諦めてよ。僕はツナ兄の為になら死んでも構わないし、ツナ兄に守ってもらわなくちゃ生きていくことなんて出来ないんだ。ボンゴレが……ツナ兄がいなくなってしまったら、その時は僕だけ生き残るんじゃない。僕もおしまいなんだよ。知ってるでしょ、僕がどれだけ力がないかも、この世界が力のない者には容赦がないってこともさ。ツナ兄が側にいる事が、本当に何より安全で、唯一僕が僕として生きていける道なんだよ」
 ぐっと、服を掴むツナ兄の手に力が入る。それから、急に力が抜けて、ツナ兄の手がぱたりと落ちた。
 ツナ兄の頭が、僕の肩に乗せられる。
 僕は、しっかりと支えるように更に抱き締めた。
「ツナ兄。もう、僕はツナ兄の為に生きるんだって、本当は日本を発つときには決めていたんだ。だから、ここまで来たんだよ」
 そうでなければ、マフィアがゴロゴロしているイタリアになんて、やって来なかった。追っ手が多少はやってくるとしても、日本の方がよっぽど安全なんだから。
 それ相応の覚悟をして、いざイタリアにやってきたと思ったら早々に引き離されて、ほとんど会うことも出来なくて、これじゃあ何のためにここまで来たのか分からないと、この数ヶ月ずっと思っていた。
 それに実を言えば、もう僕はとっくにボンゴレの一員のつもりだった。
 だから今までの扱いは、ちょっと、いや結構かなり不満だったのだ。
 ツナ兄が僕をファミリーだとは思っていなかったのだと知って、引き離された当時は本当にショックだった。
 でも、それなら今からでも入ればいい。ツナ兄の側にいられる資格を、持てばいい。
 ツナ兄にしっかり、確かめてから。
 抱き締めていた体を離して、一歩下がった。
 それからにっこりと笑って、ツナ兄に向かってお辞儀をする。
「ボンゴレ十代目、僕を貴方のファミリーに入れて下さい」
 心臓が、ドキドキしている。ここで拒否をされたら、どうしていいか分からない。
 沈黙が辛い。頭を下げているから、ツナ兄の足下しか見られないから、ツナ兄がどんな表情をしているのかは分からない。
 お願い、早く何か言って!早く良いって言ってよツナ兄!
「……っは、もう、ホントにバカだよフゥ太」
 それって、イエスノーどっちに取ればいいのか分からないよツナ兄!
 耐えきれなくて、がばっと顔を上げればそこには苦笑するツナ兄の姿。
 その姿はなんだか心なしか晴れやかそうで、僕も嬉しくなってくる。
 答えは、イエスでいいんだよね、ツナ兄。
「オレの言うことちっとも聞かないで、あげくに脅すなんて、お前立派なマフィアになれるよ。ホントはなって欲しくなかったけどな」
「うん、ごめんねツナ兄。でも大丈夫、もう逆らったりしない。ファミリーになったら、ボスの言うことは絶対だから。だから、大丈夫。死ぬなって言われれば、死なないよ」
 ね?と問いかければ、うんじゃあ死ぬなよと言われた。
「出来るだけオレが守るし、みんなにも守ってもらう。お前はオレの側で作戦立ててくれよ、オレやお前を守るみんなが生き残れる、最善の作戦を」
「うん、勿論だよ」
「よろしく、新しい家族」
「よろしく、ボス」
 ようやく得られた、ツナ兄の側にいる資格。
 この資格は、一生手放さない。
 僕は、ツナ兄と共にいる。

 ――ツナ兄と、生きていく。





end
2005/03/15
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