あわあわ
「じゃあイーピンちゃん、お風呂に入りましょうか」
「!」
沢田家での夜の恒例セリフが、今日もまた奈々の口から優しく流れ出る。
いつもと同じように、この日もイーピンは奈々に手を引かれ、嬉しそうに風呂場に去っていった。
それをツナとフゥ太とランボが見送り、男三人居間でテレビなんかを見ていたりする。
リボーンとビアンキは揃ってどこかへ出かけていた。
デートだそうだ。
(一歳児のくせに)
そんな事を考えながら、ツナはぼーっとテレビに視線を向けた。
ブラウン管の中では、犬が二足歩行をしたりぐるぐる回ったりしていた。
「ねぇ、ツナ兄」
「んー」
テレビを見ながら、ツナは生返事をする。
ランボはツナの隣で、こくりこくりと船漕ぎをしていた。
今日もやたら張り切って遊んでいたようなので、眠たくて仕方ないのだろう。
「僕たちも一緒にお風呂に入ろうよ」
「はぁー? やだよ。狭いだろー」
テレビから視線は外さず拒否するツナの顔を、フゥ太はぐっと掴んで自分の方に向けさせる。
「お願い、ツナ兄……一緒に入ろう?」
いつもの、くーんと子犬攻撃。
けれどフゥ太の細い腕は、しっかりとツナの顔を固定している。
ぐっとツナは言葉に詰まりながら、目だけをそらす。
テレビはCMに入り、タイミング良くというか悪くというか、例の消費者金融のCMが流れていた。
大きなうるうるとした目のチワワは確かに可愛いけれど、今ツナの目の前で同じような攻撃を仕掛けてきているフゥ太も、それはそれは可愛いのだ。
ツナですら守ってやらねばと思わせるフゥ太のおねだり成功率は、今のところ百パーセント。
今回もまた、ツナはフゥ太に勝つことなど出来なかった。
「分かったよ! 分かったからその顔やめろって!」
「え? どんな顔?」
どうやら無自覚らしい。
ツナは溜息を一つついて、嬉しそうにツナの側にべったり寄りそうフゥ太の頭を撫でた。
それにまた機嫌を良くしたのか、フゥ太はにこにこと、本当に嬉しそうに笑った
「洗いっこしようね!」
「お風呂空いたわよー。早く入っちゃいなさい」
ほこほこ湯上がりの奈々とイーピンが、これまた仲良く手を繋いで居間へやって来た。
女同士は今はいないビアンキも含めて、やたら仲良しだ。
そして、そんな彼女達の繋いでいない方の手には、それぞれアイスが一つずつ。
「あ、オレにもアイス!」
目ざとく見つけたツナに、奈々はふふーんと笑って、イーピンとにっこり笑い合う。
「お風呂から上がったらよね、イーピンちゃん」
「!」
イーピンはこくこくと大きく頷いて、袋に入ったままのアイスを奈々に差し出す。
ツナは首を傾げるが、当の奈々はその行動の意味を考えることもせず、自然とアイスを受け取り袋を開けてやる。
会話が成立しなくても、通じているらしい。母親という生き物だからだろうか。
「ラ、ランボさんもアイスー!!」
奈々の手からイーピンにアイスが渡ったと同時に、今までほとんど寝こけていたランボが大声を上げる。
しかし目はまだトロンと眠そうで、アイスの為だけに一生懸命起きたらしい。
「あら、それじゃあツナと一緒にお風呂に入っていらっしゃいな。今日も随分泥だらけになったものねー」
奈々はランボの頭を撫でながら、じゃあツナお願いねと結んだ。
「はぁ!? オレー?」
「だってこんなに眠そうなんだもの。それに一人じゃ危ないでしょ」
よろしくねと奈々は笑い、そのままイーピンと仲良くアイスを食べ始めた。
ツナはちぇーっと言いながら、腰を上げる。
「ツナ早くしろー! アイスアイスー!」
どうやらすっかり目を覚ましたらしいランボは、さっさと今を出てガハハと笑いながら廊下を走って行った。
ツナはやだなーと呟きながらも足を踏み出そうとするが、ピタッと止まってフゥ太の方を振り返る。
「行くぞ、フゥ太」
「うん!」
フゥ太は急いで立ち上がり、ツナの横に並んで歩いた。
子犬のようなその一連の動作に、ツナの心が思わずほっこりとしてしまった事は、ツナのみぞ知る。
素っ裸になって狭い浴室に足を踏み入れると、ランボは早速湯船に飛び込んだ。
「コラ! ちゃんと体洗ってから入れよ」
「もう入っちゃったもんねー」
「ったくもー、いいから出ろよ」
「お」
湯船に入ってしまったランボの体を引き上げると、ツナはいつの間にか置かれるようになった子供用の椅子にランボを座らせる。
そのまま頭を上から押さえ込んで、動かないように固定しながらツナは洗面器の中のお湯をランボの頭から思い切りかけた。
「ぶばぁっ!」
「あ、わりーわりー」
ぺぺぺっと口に入ったらしいお湯を吐き出しながら、ランボは大人しくツナにタオルで顔を拭かれていた。
「真っ黒!」
タオルの拭った面を目にしたツナの呆れ声が浴室に響く。
「はいツナ兄」
そんなツナに、フゥ太はにこにことシャンプーハットとシャンプーを手渡す。
ツナが振り返ると、フゥ太の頭は既にシャンプーハット完備済みだっだ。抜かりはない。
ランボの頭のもじゃもじゃに苦戦しながらも、どうにかシャンプーハットを被らせてそのまま頭を洗い始める。
もじゃもじゃのせいか、普段ツナが自分の頭を洗う時より泡立ちがよい。
一方フゥ太は、頭は自分でやれるよとさっさと洗い始めていた。
ツナが二人の頭を洗い流すと、フゥ太はよいしょとシャンプーハットを外して、そのままツナの頭にはめようとする。
「わ! 何すんだよ! オレはいらないって!」
「いいからいいから」
小さいシャンプーハットを無理矢理頭にはめられながら、ツナは椅子に座らされる。どうやら洗われる番に回ったらしい。
「ランボさんもやるー!」
ボリュームの減ったもじゃもじゃ頭のランボは、水鉄砲を振り回しながらツナの後ろに回った。
「お前は大人しくしてろってば」
「やだもんね!」
「いいじゃないツナ兄。二人でキレイにしてあげるね」
子ども二人はにやにやにこにこ笑いながら、ツナの頭を早速泡だらけにした。
シャンプーハットと、自分の頭をごそごそしている小さな手が、ツナを恥ずかしい思いでいっぱいにさせるが、不思議と心地よくもあった。
兄弟のいないツナには、こういう事が新鮮で、なんだか楽しくなってきてしまったのだが、それを表には出さない。
照れ臭いのだ。
洗い終わったのか、フゥ太はシャワーをツナの頭にかけ、ランボも水鉄砲でツナの頭の泡を洗い流す。
「い、意味ないだろそれ」
ランボの水鉄砲から、ぴゅーっと水が軌跡を描いて飛び出した。ツナの頭に出はなく、天井に向かって。
シャンプーの後には体の洗いっこが待っていて、それぞれ泡たっぷりのスポンジを手に、お互いの背中を洗い合う。
もっとも、ランボは全身隈無く洗われ、くすぐったいとゲラゲラ笑い続けていただけで、ツナやフゥ太の体を洗うことはなかったが。
スポンジと泡の柔らかな感触が、よほどツボに入ったらしい。
ランボの泡だけ心持ち黒い気がするが、それは見なかった事にして洗い流そうとシャワーのコックを捻れば、ランボはシャワー権を得たいのか椅子から勢いよく立ち上がる。
ランボが無駄にばらまいたボディソープの泡で、床はツルツルと滑るというのに、ランボはそんな事を気にもしない。
大方の予想通りランボが足を滑らそうとした瞬間、ツナは自分でも驚くぐらい咄嗟にシャワーを放り出してランボに駆け寄っていた。
手放したシャワーが、ガンと音を立てて湯船に当たって跳ね返る。
更にバターンと大きな音がして、ツナが後ろ向きに転倒する。腕にはしっかりとランボを抱えていた。
「ツナ兄!」
フゥ太の焦る声を聞きながら、狭い浴室の中、ランボの下敷きを自ら買って出てしまったツナの意識が遠のいた。
「ツナ兄!」
「ツナー!」
目を開けると、フゥ太とランボが泣きそうな顔でツナを見つめていた。
「良かったツナ兄ー!」
フゥ太は目を開けたツナに思い切り抱きつき、そのままベッドに縫いつけた。
ランボは折角洗った顔をぐしゃぐしゃのべしょべしょにしていたが、そんな顔を見たらツナはとても怒る気にはなれなかった。
「あー、いってぇ」
意識が覚醒すると、後頭部の痛みに気付く。
手を当てると、膨らんでいた。
「瘤が出来てたぞ。全く風呂ではしゃぐなんてお前もまだまだガキだな」
「一歳児に言われたくないよ!」
いつの間に帰ってきたのか、リボーンが上から顔を覗き込んでいた。
「ごめんねツナ兄、僕が洗いっこしようなんて言ったから」
「いいよ気にすんなって。それよりランボは大丈夫か」
後半をランボに向けて尋ねれば、ランボはこっくり頷いた。
「そっか」
ほっと一息をついて、自分の首に腕を絡めているフゥ太の頭もよしよしと撫でた。
リボーンはまだ、こちらを覗きこんだままだった。
「何だよ」
尋ねれば、リボーンはぷいっとツナの視界から姿を消した。
同時に、ツナの顔に冷たい塊が当てられる。
その冷たさに、思わずぎゃあと悲鳴が漏れた。
「アイス、ランボさんの半分やる」
顔の上では冷え冷えとしたパピコが半分と、顔をぐしゃぐしゃにしたランボ。
「サンキュー、でもお前が食べな」
ほらと、顔の上からアイスを退けて、ランボの小さな手に握らせる。
ランボはこくんと頷いて、大人しくパピコをチューチューし始めた。
フゥ太に退いてもらって体を起こすと、やっぱり頭が少し痛んだ。
部屋を見回せば、リボーンはハンモックに揺られていた。視線がかちりと合う。
「ほらよ」
ぶっきらぼうにリボーンがツナに向けて放って来たのは、一つのアイス。
「お前の分だ」
「サンキュ」
リボーンなりに気遣ってくれているのだろうかと、ツナは思う。
受け取ったアイスの封を開けて、ツナはべったりくっついて離れないフゥ太とランボと一緒に、アイスを頬張った。
「ごめんねツナ兄。でもまた、一緒に入ってくれる?」
心配そうな顔のフゥ太に、ツナはお兄ちゃんの顔で頷いた。
「また明日な」
フゥ太の顔はキラキラと子犬以上に輝いて、ランボはアイスを鼻歌交じりに食べていた。
弟分がいるっていうのも、大変だ。
end
2005.09.12
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