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gravity



 空は真っ暗で星はおろか月すら出ていない。
 歌舞伎町は一日のうちもっとも輝く時間を過ぎ、今は人通りもまばらであった。
 取り残された酔っぱらいが道路やビルに背中を預けてぐったりと眠っていたり、時折どこからか男女の奇声が響いてきたりと、ある意味一番危ない時間帯でもある。
 人気が少ないだけに、何かあっても気付かれる可能性が低いのだ。
 こんな時間に外に出てしまった事は迂闊と言うより他無い。加えて、よりにもよって街灯の少ない真っ暗な裏道を選んでしまった自分を、恨めしく思う。
 いくら道場までの近道とはいえ、もう少し考えて行動するべきだった。
 それでも、選んでしまったものは仕方ない。家はそう遠くはないのだからと自分を励ましていた真っ最中のこと。
 キキーっと音を立てて、一台の車が新八の真横で止まった。
 怪しい。あまりに怪しすぎる。
 まわりをちらちら見回しても、人っ子一人いない。辺りの店は完全に閉まっているし、この車の目的はどう考えても新八以外にない。
 しかしこの車が何の車かは分からないし、知り合いに車に乗るような人はいない。
 それだけに、正体の分からぬその車は、新八にとって恐怖だった。
 走って逃げようかどうしようか逡巡している間に助手席のウィンドウが静かに下りて、見れば運転席には、酷く見覚えのある制服をかっちりと着込んだ一人の男。
 黒い髪と、瞳孔が開き気味の鋭い瞳、口元には煙草を銜えていて、その視線は新八に注がれていた。
「土方さん?」
 名を呼べば、銜えていた煙草を右手で持ち、土方が口を開く。
「……未成年が出歩いていい時間じゃねーぜ」
「家に帰るんです」
「こんな時間にか? 朝まで待てばいいだろうが」
 どうせすぐに夜が明けるぜと、視線を新八から正面に戻して言う。
「万事屋にいられないから、こうしてこんな所を歩いてるんですよ」
「ケンカでもしやがったか」
「違いますけど、似たようなものです。それじゃ、もう行きますんで」
 頭を下げつつ会話を無理矢理打ち切って、新八は土方から視線を帰り道へと戻す。
 真選組に関わっていい目にあったことなど無いのだから、ここはさっさと切り上げて関わらないが吉だ。
 足を一歩踏み出して、とにかく早く帰ろうと思考を切り替えた所で、ガチャッと車のドアの開く音が新八の耳に届いた。
 振り返れば、運転席から降りた黒い男が車に寄りかかって、こちらを見ていた。
 煙草を一度口元に持って行き、深く吸い込む。
 そして、言葉と共に紫煙を吐き出した。
「乗っていけ。送っていってやる」
 でなきゃ深夜徘徊で補導だと、脅しまでご丁寧にかけてくる。
 新八は大人しく車に体を向け直した。正直に言えば、ほんの少し、そうほんの少しだけホッとしている自分が居る。
 何だかんだで、真っ暗な道を一人で歩くのは、恐怖が伴っていたのだ。
 車は近くでよく見れば、白と黒のツートンカラーのパトカーだった。
 いつもついている提灯はなぜか灯っておらず、つけてくれていればすぐに分かったのになと、新八は思う。
 後ろの座席はぱっと見ただけで人が乗れるような状態でない事が分かったので、助手席側のドアに手をかけ、さっと乗り込む。
 ついでに面倒だと言わんばかりに溜息をついてみるが、土方は意に介した様子もなく何も言わずに運転席に乗り込んだ。
 手にしていた煙草を車内の灰皿で揉み消して、土方はアクセルを踏み込む。
 新八と土方となんだかよく分からない沢山のがらくたが積まれた車は、ゆっくりと夜明け前の歌舞伎町を走り出した。



「後ろの荷物は何です?」
 静かすぎる車内は息が詰まりそうで、それが耐え難い新八はバックミラーで後部座席を見ながら口を開いた。
 土方も新八と同様にバックミラーで後部座席を確認してから、一言気にするなとだけ言う。
 暗い車内なのでよくは見えないが、バドミントンのラケットだとか、酒瓶だとか、ボールだとか、よく分からない機械だとか、武器のようなものだとかがぼんやりと確認出来るような気がする。
 バドミントンのラケットを見ると、新八は運転席の土方と同じ真選組に在籍している山崎を思い出すが、もしやこれは全部…。
「真選組の私物ですか?」
「…………」
 黙秘だ。
 しかし土方の横顔を覗き見れば先ほどより明らかに不機嫌そうにしている所から、図星のようだった。
 これらの物をどうするのだろうか。
 花見の時に山崎から聞いたこの真選組副長に対する愚痴から考えると、とても返すとは思えないので、やはり捨ててしまうのだろう。
 まさかこんな時間に一人で車を走らせていたのは、このがらくたを捨てるためなのだろうか。
 ゴミ捨て場にちゃんと捨てるんだろうかと、いらぬ心配までしてしまう。
 でもこの人はこれでいて真面目な部分があるそうだから、その辺にポイッと捨てたりはしないだろう。
 新八は一人で勝手に納得して、それから外を見た。
 助手席の窓から見える空はやっぱりまだまだ暗い。
 夜明けまではまだ時間がありそうだった。
「で、いつまで真っ直ぐ走ってりゃいいんだ」
 土方は正面を見据えたまま、新八に尋ねてくる。
 本当は、道場へ続く道などとっくに過ぎているが、本当の事は言えないでいた。
 あまり早くは帰りたくなかったのだ。
 昨日姉の妙は、「今晩はお休みなの。今夜はゆっくり眠れるわ」とこぼしていた。
 ということは、今家に帰れば確実に姉が寝ており、そこに朝早くというよりも深夜に弟がガタガタと帰ってきたとなると、間違いなく姉は怒るだろう。
 安眠妨害してんじゃねーぞゴラァとしめられる。確実にだ。
 万事屋を飛び出して来た時には忘れていたし、急いで家まで帰ろうと思っていた時にも気付いていなかったが、土方の助手席に座り、道場までの道のりを聞かれた時に思い出してしまったのだ。
 思い出して良かったのか良くなかったのか、いまいち判断に苦しむ。
 けれど新八は、姉の恐怖よりもこうして息苦しい車を選んだ。
 だからこうして、土方と共に深夜のドライブに興じている。
 もっとも、土方にはそのつもりは全くないのだが。
「このままじゃ歌舞伎町出ちまうぞ」
「いいんです、そのまま真っ直ぐです」
 訝しげな視線を新八に送りつつも、土方は結局そのまま曲がることなく道なりに進んだ。



 それからどのくらい時が進んだのか。いい加減本当に道を教えろと土方が声をかけるが、返事はなかった。
 顔を助手席に向けて、その理由を知る。
 新八は首を傾けて静かに眠っていた。
 耳をすませば寝息が規則正しく立てられている事に気付く。
 やれやれと思いながら、土方は車を止めることなくそのまま走り続けた。適当なところで曲がる事を繰り返し、歌舞伎町内をぐるぐると回る。
 その間に、あるだだっ広い道場の前を何度か通り過ぎた。それが、隣で眠る少年の家であることに気付いていたが、土方は車を止めない。
 車に乗せた直後の、正しい道を教えはしない新八の態度から帰りたくないのだろうと土方は悟っていた。
 ならば、車に乗せて正解だったとも思う。夜中にコドモが一人で歌舞伎町をうろうろするなんて事は、させてはならない。
 夜のこの町は、危ないのだから。だから、乗せた。それだけだ。
 思考をそこで中断し、更に走る続けること数十分。あと二時間もすれば太陽が昇ってくるだろう頃になって、土方に眠気が襲う。
 ヤバイなと思ってしまうほどに容赦なく襲ってくる眠気。単調なドライブが、またそれを助長させている。
 新八を乗せたまま真選組に戻るわけにはいかない。当初の目的であったゴミも、まだ積んだままだ。土方は車を東に向けた。
 周りに民家の少ない、取り残されたようにある公園に向かう。
 そこは、タクシー運転手の仮眠やカップルのたまり場によく使われるような場所だった。
 今の時間ならばカップル共はもうおらず、タクシーやトラックも止まっている事はないだろう。
 土方はアクセルを踏み、眠気と戦いながら目的地に辿り着く。予想通り閑散としたそこの、端の方へ車を寄せた。
 東の空が、正面に見える。これならば、太陽が昇ればすぐに目覚める事が出来る。
 シートベルトを外し、新しい煙草を一本取り出した。こうして落ち着くと、眠気が少しさめてしまうのだから皮肉なものだ。
 隣を見れば、相変わらずすやすやとコドモらしい寝顔を土方に晒している新八の姿。
 まだまだ暗い車内で、新八だけが街灯に照らされてぽっかりと浮かんでいるように見えた。
 土方は左手を助手席に向けて、新八のシートベルトを外してやる。
 カチャリと音がしたが、新八が目覚める様子はなかった。
 息と煙を吐き出して、土方はじっと新八の寝顔を見つめる。
 眼鏡の奥で閉じられた瞼が、時折ピクピクと小さく痙攣しているのは、夢を見ているからか。
 口を小さく開けて、涎でも垂らしそうな新八の寝顔に、土方の頬が僅かに緩む。
 煙草を軽く銜え、左手を新八に向けて伸ばした。
 わしっと些か乱暴とも思える仕草で新八の黒髪を撫で、はっと我にかえる。
「なにやってんだ……」
 己のとった行動に自己嫌悪を感じつつ、土方は頭を抱えた。
 同時に、腰の辺りに何かが触れる感触。
 見れば、腹の辺りで組んでいた新八の右腕がだらりと落ちて、車内が狭いせいか土方に触れていた。
 自己嫌悪をひとまず横に置いておくことにして、土方はその手を取って元に戻そうとするが、途中でその動きがふと止まる。
 新八の手を取ったまま、土方は右手でシートを倒した。
 そうしてそのまま、まるで新八と手を握っていることなど気付いていないかのように、瞼を閉じた。
 ほんの少し騒ぐ心臓を疎ましく思いながら、左手に感じる温もりに誘われるように、土方は眠りに落ちていった。



 眩しさに新八が重い瞼を開ければ、ビルの間から隙間を縫うように太陽が昇ってきていた。
 朝だった。
 はっと気がついて周りを見回せば、そこは眠る前と同じ馴染みのない車の中。
 どうやら自分はいつの間にか眠ってしまったらしい。
 運転席では、土方がシートを倒して眠っていた。不自然に左手だけが、こちらの方に向かって伸ばされていたが、新八は気にとめることはない。
 道場がどこだか分からなかったらしい土方が、結局ずっと自分に付き合ってくれたのだと思うと申し訳ない気持ちになる。
 場所を確認しようと土方から視線を上げ、窓の外を見れば、大きなビル群が遠くに見える。
 どことなく見覚えがあるような気がすると思ったら、歌舞伎町内にある公園の近くだった。
 よく、タクシーの運転手などがこの辺りに車を止めて昼寝をしているのを見かける場所だ。
 ずっと運転していてくれたのだろうか。起きていた時の記憶を辿ろうとするも、うまくいかない。
 一体、いつの間に眠ってしまったのか。どうして、無理矢理起こしたりせずに黙って車を走らせてくれていたのか。
 新八には覚えがないし、分からない。何か裏があるのかもしれず、もしそうなら土方が起きる前に逃げるのが得策かもしれないと思う。
 このまま車を降りてバックレてしまおうかという考えが浮かぶが、振り落とす。こちらの素性は知られているのだ。逃げた所で無駄だ。
 ゆっくりと昇ってくる太陽を見ながら、新八は結局じっとシートに座っている事にした。
 そう言えば、乗った時にはしていた筈のシートベルトもしていない。それに気がついてシートベルトに手を伸ばす。タングプレートを差し込もうとバックルに手をかけると、ぐっと手首を握りこまれた。
「おい眼鏡」
 不機嫌そうな低い声が、すぐ隣から聞こえる。視線をそちらに向けると、瞳孔が開き気味のその目に、射竦められそうになる。
「眼鏡じゃありません」
 反射的にそう答えて、それからおはようございますと付け加えた。彼の目が細められふっと笑われた。
「じゃあ何だ」
「志村新八です」
 真っ直ぐに土方を見て、堂々と名乗る。
「新八」
 名を呼びながら、土方が体を起こす。新八の握られていた手首が解放された。
「もう道場に帰ってもいいのか」
「は?」
 シートを起こして位置の調整をすると、土方は当たり前のように煙草へと手を伸ばす。
「帰りたくなかったんだろうが」
「……分かってたんですか」
「まぁな」
 煙草に火をつけ、紫煙を燻らせる姿は様になっている。なんてやりにくい人だろうと、新八は溜息をついた。
 この人はきっと、道場の場所も知っているに違いないのだ。なのに、知らない振りをする。イヤなオトナだ。
「もういいなら、今度こそ送っていってやるよ」
 ニヤリと人の悪そうな笑み。
 新八はつられたように、ニヤリと笑い返す。
「じゃあお願いします」
 エンジンのかかる音が、早朝の歌舞伎町に小さく響く。
 新八と土方と、それから捨て損なった沢山のがらくたを積んだ車は、道場へ向けて滑るように走り出した。



 手を繋いだまま寝ていた事は、土方だけの秘密だ。



end
<2005.12.21>
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