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王様から見たその後の二人




「俺がいない間に、随分と仲良くなったみたいだなぁ」
 中庭を見下ろしながらはっはっはっと豪快に笑っているのは、この国――シンドリア王国の王たるシンドバッドその人だ。
 中庭、正確には中庭の端にいる二人に視線を注いでいる。
 視線を向けられている当人たちはシンドバッドに気付いた様子もなく、和気藹々と話し込んでいるようだった。
 二人のうちの一人、この国の政務官の服を纏い、相手の目線の高さに合わせて膝を折っているのは八人将の一人であるジャーファル。そして、その目の前で身振り手振りを交えて何かを話している子どもが、食客としてシンドリアに招いているアラジンだ。
 遠く離れた位置からでも、二人が和やかに、そして実に楽しげに会話を交わしているのがよく分かった。アラジンが何かを喋れば、ジャーファルはそれに頷き笑って応えることを先ほどから繰り返している。その様子は年の離れた兄弟のようにさえ見えた。親子程離れているわけではないし、兄弟と表現するのが妥当だろうと王は一人で納得している。
「最近は、二人だけでよくどこかに行っていますよ。秘密だって言って、どこに行ってるのかは教えてはもらえませんけど」
「そして除け者にされて寂しがっているのが我が弟子です」
 シンドバッドの後ろから、アラジンと同じくシンドリアの食客であるアリババが苦笑交じりに顔を覗かせた。シンドバッドの呟きを拾い、視線の先の二人を見て何のことだか合点がいったのだろう。そのアリババの後ろでは、シャルルカンがニヤニヤと笑って弟子を小突いていた。
「ちょっと! 違いますよ、変な事言わないでください師匠!」
 振り返りじゃれ合う二人を見れば、ジャーファルとアラジンとは関係性こそ違うものの、こちらも師弟としてうまくやっている事が伝わってくる。順調で何よりだとシンドバッドは頷いた。そして、シャルルカンにおちょくられているアリババは必死に否定しているけれど、友人を取られて寂しいのは事実かもしれないとも思う。それ程、ジャーファルとアラジンが共に過ごす場面を見かける事は多かった。シンドバッドが四ヶ月の遠征から帰国してからそれ程時間が経っていないというのに、二人が一緒にいる場面の遭遇率は高い。いない間の四ヶ月を含めたり、シンドバッドが遭遇していない場面を考えれば二人が共に動いている回数は相当なものだろう。
 アラジンとアリババ、そしてモルジアナ。国を出る前、この三人について気にかけるよう頼んだのは確かに自分だが、この展開は正直予想外だった。
 親交を深めるのは大いに結構なことだが、これ程入れ込むようになるとは誰が思うだろう。
「アリババくんが嫉妬してしまう程、二人は頻繁にどこかへ消えるのかな?」
 シャルルカンによる一方的な取っ組み合いを始めようとしている二人に向けて声をかければ、ええ、とアリババはやはり苦笑を見せる。シャルルカンも同じような表情をしていることから、異議は無いようだ。それで毒気が抜かれてしまったのか、相手に掴みかかろうとしていた互いの手はすっと下ろされてしまった。
「あ、勿論嫉妬はしてませんけどね。……前はよく四人でお茶をしてましたし、今も時々してるんですけど、それ以外の場所でも二人だけは良く一緒に消えちゃうんですよね。ジャーファルさんなんて忙しいでしょうに、それでも頻繁に顔を出してくれるみたいで」
 アラジンに聞いても秘密さと言うばかりで、教えてくれることはない。それはジャーファルも同じで、アラジンがいない場所でそれとなく聞いた事があるけれど、笑顔で誤魔化されてしまったとアリババは語った。
「うーむ、ジャーファルの口を割らせるのは骨が折れそうだ。アラジンも答えてくれないとなると、あとは……」
 再び中庭を見下ろし、シンドバッドはその大きな口で弧を描く。
 そんなシンドバッドの様子に、アリババとシャルルカンの師弟コンビは首を傾げて、そしてどこか不安そうに国の主を見守った。


 中庭から二人が移動を始めるのに合わせて、シンドバッドもその身を中庭に投じた。教えて貰えないのであれば、こっそりと後ろから様子をうかがうしかあるまい。ただしジャーファルは元暗殺者である為に気配には敏感だ。気取られないよう十分な距離を取る必要がある。
 二人が手を繋いで歩いて行くのを、シンドバッドは音を立てずに追いかけた。
 手を繋いでいるのを確認した時点で既に首を傾げたくなったが、仲の良い兄弟ならば普通に手を繋ぐ位するだろう。実際には兄弟ではなくともだ。自分を納得させて、シンドバッドは二人を追う。
 王宮内に入った二人を追うのには、そう苦労を伴うことはない。王宮内のあちこちに人が立っているし、距離をあけすぎて見失ったら素直に衛兵などに尋ねればいいのだ。衛兵達から正確な情報が得られるのは、王様の特権であると言っても良い。
 しかし実際には衛兵を頼るようなことはなかった。二人が緑射塔を目指していることが進行ルートから分かったからだ。角をいくつも曲がりに曲がって、二人の姿が見えなくなっても焦ることは無い。少しだけ歩調を早めて、けれど音はなるべく立てずに足を進める。次の角を左に曲がれば緑射塔、直進すればまた別の場所へ行くことになるので、シンドバッドは緑射塔を目指すべく左に曲がった。
 その瞬間。
「何かご用でしょうか」
 目の前に現れた男の姿に、シンドバッドは思わず立ち止まってしまった。曲がったばかりの角で、壁に寄り添うように立つ二つの影がシンドバッドを見上げている。
「いつから気付いていた」
 やはり気付かれていたかと、シンドバッドは頬を指先で軽く掻いてみせる。
「中庭でお話していた時からだよねぇ」
「ええ、あなたの視線は正直ですからね。見ているときから気配を殺そうともしていませんでしたし、そのまま追いかけてくれば当然気付きますよ。それを分かっていて追いかけてきたのでしょう? 人のいないところで、話したい何かがあったから、ですよね」
 ジャーファルは笑みを湛え、アラジンも真っ直ぐにシンドバッドを見上げている。その目にはどこか挑戦的な輝きすら宿っていた。
「この辺りには衛兵もいませんし、この時間帯ならば人通りもほとんどありません。さあ、用件を伺いましょう」
「なに、どうせやるならもっと大っぴらにやるか、とことん隠せとお節介を言いに来ただけだ」
「何をだい?」
 アラジンは無邪気に首を傾げている。シンドバッドは肩を竦めて、二人が繋いでいる手を指し示した。大人の手と、小さな子どもの手がしっかりと絡み合っており、絶対に離すことはないと言葉ではなく態度で示しているその二つの手。
「それだ。アリババくんが寂しがっていたぞ、二人だけでどこかへ消えてしまうってな」
「ああ、それは……」
「あのねシンドバッドおじさん、それは僕とジャーファルおにいさんだけの秘密なんだ」
 ジャーファルが少し言いにくそうに口を開こうとすれば、それよりも先にアラジンが一歩前に出て言葉を紡ぐ。
「ああ、勿論分かっているさ。だからこそ周りにそうと気付かせるなと言ってるんだ。秘密はその存在を気付かせぬぐらい徹底的に隠すか、そうでなければ完全に開いた方がいい。そもそも、らしくないんじゃないかジャーファル」
「自分でもそう思っていますよ」
 ジャーファルは笑みを零し、握る手の力を強める。アラジンもそれに応えるように、ぎゅっと強く握り返した。元気づけるような動作はあまりに自然で、二人の間にある絆がシンドバッドが思っているよりもずっと強いことに気付かされる。
「年甲斐もなくはしゃいでいる自覚はあるのですが、どうにも制御仕切れるものではありませんね」
「珍しいこともあるものだなぁ。弟分が出来たからと言って、お前がそこまで冷静さを欠くとは」
「弟?」
「弟……」
 疑問を顔に出すジャーファルに、落胆を顔に出すアラジン。そして、双方の姿を見て首を傾げるのはシンドバッドだ。
 二人は王に向けていた視線を互いの顔に移して、じっと見つめ合っている。探るような、確認をするような動作にシンドバッドは自分が思い違いをしていた事に気付かずにはいられなかった。そしてようやく、思い至る。この二人の間にあるものが一体何であるのかを。
 ジャーファルのことは幼い頃から知っているが、そういえばこんな態度を見せた事はなかった。それもそうだ、暗殺者の次は仲間として、そして臣下としてずっと共に過ごしてきたけれど、ジャーファルが誰かと特別な関係を築こうとしているところを見たことがないのだ。仕事一筋だったジャーファルが、仕事の合間を縫ってこまめにアラジンとの時間を持っているということ。ジャーファルの中でシンドリアが最優先であることには変わりはないだろうが、それとはまた別に大切なものが出来てしまったことの証明に他ならない。
 その左手に握っている、大切なもの。
「すまない、今のは俺の勘違いだ。気にしないでくれ。……二人とも、その手を決して離すなよ」
 シンドバッドは笑って、彼らにそう告げる。彼らが同時に確りと頷いたのを確認して、シンドバッドはその場から踵を返した。
 ジャーファルに大切なものが出来たことは喜ばしいことだし、それがアラジンであり更には相互に思い合っているというのなら、それはシンドリアとしても喜ばしいことだ。純粋な気持ちを利用する真似はしたくないけれど、そうも言っていられない。シンドリアにとって、この世界にとってアラジンはどうしても必要な存在なのだ。留めておくためならば、たとえそれが彼らの本意でなくとも利用する。王は一人、決意をしながら廊下を歩いた。
 しかし同時に、彼らの純粋な幸せも願っている。その気持ちに嘘はなかった。
 彼らが笑って過ごすことのできる世界を、彼らと共に守り続けることがシンドバッドの決意だ。


おわり
2012/08/11初出
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