上司のところへ立ち寄り、次の仕事を引き受けてきた帰り道、男は廊下でばったりと魔王に出くわした。
男の姿を認めた魔王は、パッと顔を朱に染める。
「や、やっほーヨザック! この前は、お世話に……なり……ました…………」
消え入りそうな声は、恥ずかしさ故だろう。分かりやすい態度に男は笑って、魔王に近付く。
ビクッと魔王の体が強張っても、気にしない。
自分も、緊張で体が震えそうだったからだ。
「もう、大丈夫ですか」
「ああ、何ともない……事もない」
俯いて、それからぐっと拳に力を込めている様を、遠慮無しにジロジロと眺める。
薬の効果は、もうとっくに切れている筈だ。大丈夫でないという事は、後遺症でもあったのだろうか。
それとも、あの日の出来事で心の傷を負ってしまったのか。
男は、魔王の言葉をじっと待つ。
「あのさ……!」
思い切り力を込めて、魔王の顔が上げられる。真っ直ぐに男を見詰めてくる双眸は、数日前の艶っぽい濡れた瞳と重なって見える。
魔王はしどろもどろになりながら、言葉を選んで、男に何かを伝えようとしている。
何を伝えようとしているのか。
男は魔王の瞳を見て、己の鼓動が高まるのを感じた。
期待しているのだろうか。
己が自覚してしまったこの気持ちを、魔王も抱いてくれているのではないかという事を。
「おれ、あの時」
止まる言葉。
止まる空気。
目だけが、必死に語っている。
見上げてくる瞳だけが、必死に、訴えかけてくる。
「今思い出しても顔から火が出そうになる。恥ずかしくってたまんないんだけど、でも」
魔王は、男を見て、笑う。
「後悔はしてないんだ。むしろ……」
言葉を待てず、男は魔王を抱き寄せた。
ぎゃっという悲鳴が、腕の中から聞こえるが、聞こえないふりをした。
「ヨザック」
くぐもった声が、耳に届く。
声には戸惑いと、緊張と、そして仄かに混じる甘さ。
「坊ちゃん……」
男は魔王を抱き締め、自惚れてもいいのかと、そっと問いかける。
「自惚れるって、何だよ」
「こうして、坊ちゃんを抱き締めてもいいのかって事です」
切羽詰まったような男の声に、魔王は目を閉じて、自分の体を男に全て預けた。
魔王の重みが、温もりが、これ以上ないほど男には心地よい。
それから、魔王はぽつんと、男にだけ聞こえるように、問の答えを呟く。
「時々ならな」
END
2006/02/22
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