1.偶然を装って
ヨザックが独自ルートを使い入手した情報によれば、彼は今日お忍びで城下に赴くらしい。
民の生活を知るには実際に見るのが一番だという彼の主張により、名目こそ視察となっているが、実際は息抜きだ。バカみたいに大きな城であっても、やはり引きこもっているのは性に合わないのだと彼が零していたのをヨザックは知っている。周りがそんな彼の性質を知って、本意ではないながらも視察を許していることもだ。
様々な商店の建ち並ぶ賑やかな通りは、ヨザックにしてみれば通い慣れた場所であったが、なかなか城下を訪れる事の出来ない彼にとっては未だ珍しい場所であるらしく、視察の度に必ずこの通りを歩いていた。今日もそうなる筈だと、ヨザックは彼が立ち寄りそうな場所に目星をつけながら人の多い通りを歩く。
彼の好みを考えながら足を動かしていれば、朝に採れたばかりの新鮮な野菜を売る老婆や、搾りたての山羊乳を売る青年、なんだかよく分からない土産品を売り捌こうとしている中年男性に次々と声をかけられる。いつも通りの平和な光景だが、生憎と今日は彼らから物を買っているような余裕はない。情報通りであるならば、そろそろ彼が城を出る頃合いだからだ。
商人達の活気溢れる声を笑顔でやり過ごし、通りを眺めるのにちょうど良い店に入る。夜は酒を、朝と昼もやはり酒を提供する店だ。ここで暫く過ごし、もし彼を見つける事が出来れば声を掛けようと思っていた。見つからなかった場合には、城下で直接会うのは諦め、登城して正面から夜遊びの誘いに行くつもりだ。もっとも、夜の早い彼にはいつものように断られてしまう可能性が高い。眞魔国へ戻る度に彼を夜遊びに誘いはするが、その誘いが成功した事は一度も無かった。無理矢理連れ出した事はあるけれど、それは成功とは言わない。いつの日か大人になった彼がいいよと言ってくれる日を、実は待っている。
妙齢の女性店員に酒ではなく山羊乳を頼み、目的の人物がやってくるのを通りに面したテーブルに腰掛けて待つ。仕事柄じっと待つのは得意だった。
ごった返す人の中から、変装した彼を見つける事が出来るのか――。そんな不安は、一切感じることはなかった。目が、耳が、鼻が、五感の全てが彼の訪れをヨザックに教えるからだ。ここを通りさえすれば、絶対に見つける事が出来る。そんな確信をヨザックは抱いている。
山羊乳を片手に、約束の無い待ち合わせを一人楽しむ時間はあっという間に過ぎていった。笑顔で溢れる城下町を眺めているだけで気分が良い。こうして平和に過ごせる事が、どれだけ尊いことか。そしてその平和を支えているのが、彼と、彼の下で働く多くの人々なのだ。彼等の下で働く自分も、この笑顔に貢献出来ていればいいと柄にも無く考えてしまうのは、彼を待っている楽しい時間だからかもしれない。何も無い穏やかな時間を心地よく感じてしまうなんて、自分も随分と年を取ったものだと小さく笑う。
山羊乳を飲み干す頃、外套を纏った人物が通りの向こうから歩いてくるのがちらりと目に入り、ヨザックは店を出た。人波にもまれるように歩く外套を纏った人物に、一見して怪しいところは何も無い。どこにでもいる出で立ちであったが、それが彼である事は間違いが無かった。見間違える筈がない。顔はフードに隠れヨザックからは見えなかったものの、歩き方の癖や、体のライン、僅かに覗く顎の形が彼であると主張していた。
彼に表だったお供はいなかった。傍目には一人に見えるだろう。だが、ほんの少し視線を後ろへ向ければ私服の衛兵が少なくとも二人、彼のあとをついて回っているのが分かる。いくら平和なお膝元といえど、一人で出歩かせる訳にはいかないので当然のことだ。警護はともかく、誰も彼のお供していないことがヨザックにとっては驚きだ。彼の周りは目立つ人物が多いので、わざと置いてきた可能性は非常に高かったが、彼が一人でいるのは都合が良い。頬が緩みそうになる自身を自覚し、ヨザックは顔を引き締める。彼の姿は確認出来た。あとはどこで話しかけるかだ。タイミングを伺い、彼の動きをじっと探る。
彼は通りを楽しそうに眺めている。店で売られているものをしげしげと品定めしたり、それぞれの店主と他愛ない会話を交わしたりしているようだ。そんな事を幾度かくり返し、それまでと同じように小間物を扱う店の前で彼は足を止めた。しかし、その瞳は今までのものとは明らかに違う。鬼気迫る真剣さを漂わせている瞳の先には、女性ものの櫛や髪留めなどが並んでいた。
――彼がこの店で物を選び、贈るとしたら、相手は彼女しかいないだろう。
ヨザックは足を進め、真剣に選んでいるらしい彼の背へと音も無く近付いた。雑踏に紛れてしまえば、音も気配さえも殺すことは容易い。実際、彼はこちらの存在に気付いてはいなかった。
真剣に品定めをしているらしい彼に、壮年の店主はにこやかに話しかけている。
「嫁さんへのお土産かい。それならこの櫛がいいんじゃねえか。端っこに細かく花の彫刻が施してあって、他のに比べるとちっと値は張るが今一番人気なんだ。上品だろ」
「いやー、それはちょっと大人っぽすぎるかなー」
「そうそう、嬢ちゃんにはこっちでしょ」
彼の斜め後ろから手を伸ばし、真っ先に目に入った白い花の髪飾りを取る。これなら彼女のふわふわした髪に良く映えるだろう。
「ヨザック!」
突然割り込んできた声に顔を上げ、驚きから目を見張って名前を呼ぶ彼に笑いかける。彼の驚きに満ちていた表情が、みるみる内に嬉しそうな表情に変わっていくのを目にすれば、自身の内側から喩えようのない充足感がこみ上げてくるのを感じた。喜びと、畏れ多い気持ちがぶつかり合って綯い交ぜになっている。ヨザックがそんな心情を表に出すことは無いので、目の前にいる彼に気付かれることはない。
「こんなとこで何やってんですか坊ちゃん」
「ヨザックこそ。偶然だなぁ」
輝く笑顔は、髪の色や目の色が変わっていても少しも損なわれる事はなかった。その笑顔が見たくてこんな回りくどいことをしたのだから、その甲斐はあったとヨザックはほくそ笑む。偶然でない事は秘密だ。
「オレがこの辺うろついてたって、おかしいこたぁ何もないでしょ」
「そりゃそうなんだけど。あ、おっちゃんこれ頂戴」
ヨザックの手に掴まれたままの髪飾りを指さした彼は、いくらかと店主に尋ねた。店主に提示された額面通りのコインを、彼は辿々しい手つきで用意し始める。こちらでの買い物にまだ慣れていないのだ。髪飾りが高いのか安いのか妥当なのかすらも分かっていないだろう。もしふっかけられていれば助け船を出すつもりではあったが、店主の提示した額は妥当どころか安価なものだったのでヨザックは彼の買い物風景を眺めるに止めた。
「嫁さんじゃなくて娘さんにだったかい。あんた可愛い顔してっから、娘さんもさぞ可愛らしいんだろうな。大事にしなよ、娘はすぐ嫁にいっちまう」
「まだまだ嫁にやる気はないよ」
商品が売れて機嫌の良くなった店主に金銭を支払い、髪飾りはヨザックが握ったまま二人そろって店を後にする。店主の「毎度ー!」という威勢のいい声が、二人を見送った。
「はい坊ちゃん、大事にしまっておいて下さい。ところで本当にこれで良かったんですか」
買ったばかりの髪飾りを受け取り、質素な財布と共に懐へしまい込みながら彼はいいんだと言った。
「グリ江ちゃんがグレタの為に選んでくれたんだし、おれもグレタによく似合いそうだなって思ったから買ったんだよ。グレタが喜んでくれるかは分かんないけどね」
「それなら大丈夫、絶対に喜んでくれますよ。大好きな人からのプレゼントが嬉しくない訳ないでしょ」
「そうかな? そうだといいんだけど」
例えそこらで捕まえた虫であっても、そこらで拾った石であっても、彼からの贈り物であれば彼女は喜んでくれるだろう。それだけは間違いない。彼が娘を溺愛しているのと同じく、娘も彼を愛しているのだ。仲睦まじい親子の様子を、ヨザックはよく知っている。
「ところで、グリ江ちゃんはこれからどっか行くの?」
「ちょうど今、坊ちゃんとデートっていう用事が出来たとこです」
勿論坊ちゃんがよければですけどと付け加えながらウィンクをすれば、彼は笑った。
「いいよー。おれ、エスコート出来ないけど」
「この辺のことなら詳しいんで、坊ちゃんは安心してグリ江についてきてちょーだい」
「さっすがー! 一人で見て回るのも気楽でいいんだけど、なんか今日人多いから迷いそうで不安だったんだよね。すっごく心強いよ」
「ありゃ。坊ちゃんったら、今日が特別な日だって知らないで来たんですか」
「何? もしかしてお祭りとかあんの?」
「まあ祭りと言えば祭りですかね。実は今日、半年に一度の一斉特売日なんですよ。なんでもかんでも大安売り! だからいつもより人が多いし、呼び込みもすごいでしょ」
「確かに。人多いし賑やかだし年末のアメ横みたいだよな。おれ年末のアメ横に行ったことないけど」
アメヨコなるものを当然ヨザックは知らない。彼の故郷にある地名であろうという事は推測出来るが、全く知らぬものを想像することは難しい。アメヨコってのはどんなとこなんですかと尋ねようとしたが、尋ねる相手が不意にヨザックの視界から消え失せる。軽く振り返れば、人波に流されそうになっている外套姿が目に入り、ヨザックは咄嗟に彼の手首を引いた。
「あ、ありがと。ほんとに人すごいね」
「この通りの状態ですから、はぐれないように、ね?」
彼の手を引き寄せ、ヨザックは自然な動作で手を繋いでみせた。少し驚いた表情を浮かべたものの、彼は振り払うようなことはせず、お世話になりますとおどけて言った。
繋いだ手と手の間に汗がじわりと滲む。彼が不快に思っていやしないかと不安になるが、彼の様子を伺えば周りを興味深そうに眺めているばかりで手の方へ意識が注がれている様子は無かった。そのことに安堵すると同時に、切なさを覚える。ここは意識されていない事を有り難く思うべき場面だろうに、それが出来ない自分の愚かさに心中でそっとため息を零した。
「しっかし偶然とは言え、こんなに人がいる中からよくおれの事見つけられたね」
「そりゃあ坊ちゃんは目立つんで、どんなに離れてたって分かりますよ」
「え? もしかしてこの変装じゃバレバレ?」
髪と目の色を変え、フードを少しだけ深く被るという至ってシンプルな変装は、下手に着込んだり被り物をするよりはずっと自然に周囲に溶け込める。彼最大の特徴である黒目黒髪が失われていれば彼がこの国の王であることに気付く者はそういないだろう。それこそ、彼と既知の仲でもない限りは。
「髪の色や目の色を変えたぐらいじゃ、グリ江にとっては変わってないも同然よお。骨格とか歩き方とか、そういうのから変えていかないとねん!」
「そこまで本格的にやんないとダメなの!? 歩き方とか、そこまでおれのこと知ってるのなんてヨザックぐらいなのに」
「それはどうですかね」
彼に仕えている面々ならば、彼の歩き方など熟知していそうなものだが、彼はそう思ってはいないようだ。自分が周りからいかに見られているのか、その自覚がないのだろう。
「おれの変装は、普段のおれを知らないみんなにバレなきゃいいんだから、これでいいよ」
例え完璧な変装を彼が行ったとしても見つけてみせるだろうとは、思いはしても口には出さなかった。眞魔国だけでなく、世界のどこにいたって、きっと見つけてみせる。それが出来ると、ヨザックには確信にも似た思いがある。我ながら変質者じみていると思わなくもないが、それが嘘偽りの無い気持ちだ。
「それに、そこまで本格的に変装したらこうやってヨザックにも会えなかっただろうし、今日はこれが正解だろ」
頭をがつんと殴られたかのような衝撃が、ヨザックを襲った。坊ちゃんそれはあんまりにも反則だと、嘆きたい気持ちすら湧いてくる。
動揺を抱えはしたものの、顔に出すようなヘマはせずに済んだ。彼の手を引きながら歩いているので、例え顔に出ていても彼には分からなかっただろうが、そんな事は関係ない。自分の思いを気取られるような行為や仕草は、ほんの少しだって表面に浮かべてはならない。ヨザックはそんな相手を慕っている。
少しだけ振り返り、彼の顔を見てにんまりと笑って見せれば彼もニッと口角を上げた。
「坊ちゃんが嬉しいこと言ってくれるんで、これからオレおすすめの串焼き屋をお教えします。とにかく旨いんですが店主がちょっと偏屈なんで、気に入っても皆には内緒にしてくださいよ」
「わかった、秘密だな」
「そうです、二人だけの秘密」
じゃあ護衛をまかないとと言い出したのは彼の方で、護衛には悪いと思いつつも彼の提案を受け入れたのはヨザックだ。目当ての串焼き屋へ行く前に、ヨザック馴染みの店へ足を運びそこの裏口からこっそりと抜けだそうと、周りに聞こえないぐらいの声量で作戦を立てる。彼の表情は悪戯っぽく、この状況を楽しんでいるのが見て取れた。
作戦が決まれば、あとは決行するだけだ。
「はいはい、じゃあこっちよ坊ちゃん、はぐれないで」
その言葉に促されるように、ぎゅっと彼の手がヨザックの手を強く握り込む。湿ってないかなと心配そうにこっそりと呟くのを、ヨザックの耳は聞き逃さなかった。
(オレの方がよっぽど心配なんですけど、不快じゃありませんか坊ちゃん)
意識をすれば手に汗が滲んでいくような気がしたが、この手を離すつもりは毛頭無い。
人で溢れかえる雑踏の中へ、二つの人影が消えていった。
end
2014/09/17
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