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休息のススメ



「あー、気持ちいいなー」
 だらりと両腕を垂らして、頭を持参した小さなクッションに埋めて、有利は呟いた。
 キラキラと木漏れ日が有利の顔を照らしていく、その柔らかな光も心地良い。
 目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだったが、さすがにそれは出来ない。
 なぜなら、有利が今いる場所が、大木の枝の上だからである。
 眠ろうものなら、確実に、落ちる。
 がっしりとしたその見事な枝は、有利が乗ったぐらいではびくともしない。
 だからこうして体を預けることが出来るのだが、意識がない状態でもこの場所にとどまっていられるかと問われれば答えはノーだ。
 寝相の問題でなく、落ちるだろう。
 だから、昼寝の誘惑と闘いながら有利は束の間の休息を味わっていた。もう暫くしたら、部屋に戻ってギュンターと共に執務を再開しなければならない。
 それを嫌だと思ったことが無いわけではないが、自分で選んだ道だ。
 期待を寄せてくれる人達も、支えてくれる人達もいる。それに少しでも応えるのが王様の努めってもんだと、有利はうつらうつらしながら思う。
 自分がやらなくてはならない、自分にしか出来ない精一杯のことをやろうと、有利は近頃必死とも言えるほど机に齧り付いていた。
 国がある程度落ち着いていたとしても、やることは無くなるわけではない。それどころか、仕事はどんどん増えていく一方。
 ギュンターも、勿論グウェンダルも、それぞれに多量の債務を抱えていながら文句も言わずに有利を援護してくれている。
 有利はその事を少し、申し訳なく思うようになった。
(もうちょっと、おれがしっかりしてればな)
 こんなに二人に苦労を掛けずに済むのにと、溜息を一つ。
 今も、本当はこんなにのんびりと木の上で寝ている場合ではないのだが、休息は必要かつ、重要だ。
 ただでさえ鈍い脳の働きが、疲れで更に働かなくなったら目も当てられない。
 だから、ここは割り切って休息を取る。休めるだけ休んで、そうしたらまた二人と一緒に頑張ればいい。
 そう思いながら、有利はゆっくりと瞼を閉じた。
 クッションは柔らかくて、あたたかだった。



「んんー?」
 最近は血盟城内で仕事をする事が多くなっていたヨザックは、城の外れを歩いていた。
 今も散歩をしているわけではなく、上司から直々に承った仕事の最中だ。
 魔王陛下を見つけてこい。
 それが、現在のヨザックの最優先指令である。
 これでいて職務に忠実な部下であるヨザックは、こうして陛下の立ち寄りそうな場所をあちこち覗いている。
 途中、聞き込みも忘れない。
「陛下でしたら、あちらの方へ」
「ああ、クッションをお持ちになって、そのまま真っ直ぐに歩いて行かれました」
 などと、見回り兵士たちからもたらされる情報を頼りに、この場所までやって来た。
 大きく根を下ろす木が何本も立ち並び、風の良く通る丘だった。
 しかし、見たところ人の姿はない。こっちに向かって魔王陛下が歩いて行った事は確かだが、それ以降人に会っていないので本当にここに来たのかは不明だ。
 木の下に人の姿はなく、さやさやと揺れる草の群れの中にも、漆黒は見当たらなかった。
 ヨザックはもう少し歩を進めて、木に近付く。
 立派な木だ。どっしりとした佇まいは、安心感を与えてくれる。見上げれば、木漏れ日が差し込んでいて、思わず目を細めた。
 そこでふっと、ヨザックの脳裏に漆黒が過ぎった。
 そういえば、愛しの魔王陛下はクッションを持って歩いていた。
 何の為か。それは、カタイ何かから頭を守るためだろう。
 ヨザックは頭上を仰ぐ。木の葉がざわめいているだけで、人の姿は見えない。
 隣に並ぶ木へと移動し、また頭上を仰ぐ。
 やはり、木の葉が揺れているだけだ。
 ヨザックは足早に次の木へと移動する。
 立派な木が居並ぶ中でもとりわけ年季の入ったその木を見上げて、ヨザックは頬を緩めた。
 だらんとだらしなく垂れた両腕と両足。
 木の枝から、ちらりと覗く黄色いクッション。
 あれでは身動きが取れないだろうにと思いながら、ヨザックは木の幹に触れた。
 そうして、一番低い枝に手を掛けそのままその体を木の上へと移動させ始める。
 目的の枝はそう高い所にあるわけではないので、すぐに達した。
 ヨザックに足を向けて、俯せ状態のユーリは静かに寝息を立てているようだった。よくもまあこんな所で眠れるもんだと感心しながら、ヨザックはじりじりと距 離を詰めた。ユーリの選んだ枝は実に立派なもので、ヨザックが乗ってもビクともしない。これだけ安定していれば、まぁ眠ってしまうのも仕方ないかもしれな い。
 ヨザックはずりずりと体を前に進める。ユーリに触れないよう気を付けながら、腕はユーリの頭の更に奥へ。膝は、ユーリの尻の下へ。
 そして、彼の背中をその逞しい胸板で覆うように、ヨザックはそっと体を沈めた。
 勿論、力はかけていない。
 ただ、その衝撃でユーリの目は覚めたようだ。
「え!? なにっ!」
「おはよーございまーす、陛下」
「ヨザック!?」
 何やってんのと顔を持ち上げようとするユーリを体を使って制する。
「もうちょっと寝てていいですよー。陛下が落ちないように上で抑えてますから」
「いや、もう起きるから! っていうかおれ寝てた?」
 クッションに右頬を埋めたまま、ユーリが言った。
「そりゃあもうぐっすりと。今まで気付かなかったんでしょう?」
「よく落ちなかったなー」
「それは同感ですね。陛下ってばバランス感覚いいじゃないですか」
「偶々だと思うけどね。それより何時になったらどいてくれんの」
「重くはないでしょー?」
 質問には答えず、はぐらかすようにヨザックはそんな事を言う。わざわざ少し身を屈めて、ユーリの耳元でだ。
 案の定、ユーリは一瞬ビクリと体を震わせた。
「お、もくはないけど……暑苦しい」
「ショック! 陛下ってばイジワルですねー。いつからそんなイジワル言うような子になっちゃったんですかあ。昔ならもっとこう、ヨザックもっとくっついてぇーとか、離れちゃイヤ! とか言ってくれたのにー」
 あまり身動きは取れないものの、出来る範囲でくねくねと身を捩らせながらヨザックは嘯いた。
 ユーリははぁ?と言いたそうな顔をしていて、ヨザックは思わず笑った。
「そんな事は言わないけどさー、うーん」
 しかし、ユーリの顔はすぐに曇った。何かを考えているらしい。どうしましたと尋ねれば、ユーリは顎をクッションに乗せて、正面へと視線を向けた。首が痛そうだとヨザックは思った。心なしか、首筋が赤く染まっている。
「似たような事、ちょっと考えちゃったから自己嫌悪してんの」
「……えーと?」
 それは、もっと近付いて欲しいとか、離れたらイヤだというアピールととって良いのだろうか。
 そう思った瞬間、ヨザックの心臓がバクンと跳ねる。
 ドキドキとうるさいのは、この真下にいる魔王様のせいだ。
 ふにゃりと、体から力が抜けたのもまた、魔王様のせいである。
「うわっ、おもっ!」
「へーいかー、それは無しでしょー」
 そんな風に言われたら、くっついてくっついてくっつきまくるしか、もうヨザックに道はない。
 嫌だと言われても、くっついてくっついてくっつきまくる。
「重いって! 落ちるっ!」
「支えてるから落としたりしませんし、落ちてもオレが下敷きになりますから大丈夫ですよ。それにもう、今日は陛下から離れないって決めました。そりゃあもうしっかりと決めちゃいました。だから、諦めてオレとエッチなことしましょ」
「何がどうしてそーなるんだ!?」
「陛下が可愛らしくおねだりするからですよー。だから、ね?」
 熱っぽい声が、ユーリを襲う。ヨザックの熱を孕んだ声に、ユーリは弱い。とてもとても弱い。
 それを知っていて、ヨザックはわざと息を吹き込む。
 耳朶を口に含んで、ちゅうっと吸うとビクビクとユーリが震えるのが判る。
「やーらかいっすねー」
「ホントに、落ちるって……!」
「だから、大丈夫ですって。心配なら降ります? その方が安心して出来ますもんね」
 オレが先に降りて、下で受け止めてあげますよとヨザックは言い置くと、そっとユーリから体を離し、そのまま枝から軽々と飛び降りた。
 さすが御庭番である。
 見た目の割に、動きはごくごく軽やかだった。
「さ、どーぞー」
 両手をがばっと開いて、いつでも飛び降りてこいと言わんばかりのヨザックに苦い表情を向けながら、ユーリは結局ヨザックのいない方向へと体を落下させた。
 はずだったのだが。
「怪我したらどうするんですかもー!」
 という声がユーリの上から降ってきて、周りはがっちりとした腕と胸板で挟まれていた。
 ユーリが違う方向へと飛び降りたので、ヨザックは急いで受け止めに走ってきたのだ。
「そんなに心配させたいんですか」
「違うって! ただ、あーいう所に飛び込んでいける度胸もないんだよ」
 ヨザックは、ユーリの丸い頭をしっかりと手で抱き込む。黒い髪は、さらさらと気持ちが良い。
「もっと素直になっていいんだって、何度言えば判ってもらえるんでしょーかね。信用は、してもらえてると思ってるんですけど」
「うん、信用も信頼もしてる。でも、それとこれとは別だろー!? 恥ずかしいもんは恥ずかしいし、無理なもんは、無理っ!」
「仕方ないですね。だったら、こうやって勝手にオレがやります。こうやって……」
 ユーリの顎に、手を掛ける。
 力を込めないでも、半ば自動的にユーリの顔は持ち上がった。
 ヨザックはにまっと笑ってから、目の前の魔王様へと唇を寄せた。
 何度も啄むようにユーリの薄い唇を吸うと、そのうちユーリもヨザックを啄み始める。
 ちゅむっと音を立てて、唇が触れ合う。深く深く、唇を触れ合わせていく。
 そのうち唇だけでは間怠くなり、舌を差し入れる。ユーリの口内は熱いほどだった。
「ん、う」
「へーか、舌、出して」
「うん」
 べぇっと差しだされる舌に色気はなくて、思わず笑ってしまうけれど、その素直さが可愛くて可愛くて仕方がなかった。
 ちゅうっと、差しだされた舌を吸う。体が震えるのは、喜びからだろうか。
 おずおずと自らの意思で差し入れられたユーリの舌が、ヨザックの上顎を舐めあげる。くすぐったさにヨザックは身を捩りたくなったが、すぐに舌をユーリの中へと押し戻して、同じ事をしてやった。
 ユーリもまたそのくすぐったさに身を捩らせたので、ヨザックは口の端を上げて笑った。
 舌で舌を嬲って、相手の口内や、自分の口内に引き入れては吸い合って、唇が腫れてしまいそうになるほどキスを繰り返した。
 そっと顔を離すと、唾液が糸を引く。
「はっ、はぁ」
「だいじょーぶですか?」
「平気。だけど、こんなんじゃ城に戻れねーじゃん。どーすんだよ、おれ休憩中だったのに」
「そう言えば、オレも閣下にお仕事言いつかって来てるんですよねー。陛下を迎えに行ってこいって」
「や、ヤバイじゃん! どんだけ時間経ってるんだろ。怒ってるかな、怒ってるだろーなー、グウェン……」
「オレを迎えに行かせるって事は、すぐに戻って来なくてもいいって事だと思いますけどね。むしろ、ゆっくり休んで欲しいんじゃないですか。陛下、最近頑張ってたんでしょ? 閣下嬉しそうでしたもん。何て言われて執務室出てきました?」
 ヨザックの膝の上に座りながら、ユーリはうーんと思考を巡らす。
 ヨザックの手は、ユーリの背中をしっかりと支えていた。
「少しは休息を取れ。そのやる気は買うが、慣れないことをするとかえって効率が悪くなるだろうがとか何とか」
「ね? 閣下は、ユーリ陛下に少し休んで欲しいんですよ。だから、もうちょっとだけこうしてましょ。前大きくしたまんま歩くのも、問題ありますしねー」
 ぐりっと股間をユーリに押しつけると、ユーリの体が硬直する。
「か、たい」
「陛下への愛が籠もってますから、そらかったいですよー」
 でもそれは陛下もでしょと耳元に囁きかけて、ユーリの股間をそっと撫で上げる。
 それだけで、ユーリの欲情スイッチは入ってしまったらしい。
 ユーリはそっと息を吐いて、少しだけだぞと苦笑しながらヨザックへと唇を寄せてきた。
 ヨザックは黙ってそれを受け入れ、魔王陛下のベルトに手を添える。
 目の前で揺れる漆黒の髪は、木漏れ日に照らされてキラキラと輝いていた。



end
2006/08/30
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