ココロの補充
その日空は晴れていて、出発日和だった。
ヨザックは空を見上げ、その眩しさに目を細める。
日陰でゆっくり昼寝でもしたいという思いがチラリと過ぎるが、良くできた上司に次なる仕事を任されてしまった身故、それも叶わない。
昨日の晩に眞魔国は血盟城にやってきたばかりで、翌日の昼にはまた国外へと赴かねばならないとは、売れっ子は辛いわーなどと考えながら、ヨザックは城門を目指す。
久しぶりの帰国であったというのに、愛おしい恋人とはほとんど一緒にいられなかった事だけが心残りだ。
昨晩恋人の寝台に潜り込んで、これでもかと言うほど愛したけれど、それでもヨザックは少々物足りなさを感じていた。
出来ることならせめて一日ぐらい、この国で愛おしいあの人と過ごしたいけれど、己の仕事はその愛おしい恋人のためなのだから文句も言っていられない。
恋人同士である前に、恋人はヨザックの主であり、そしてその恋人は主としてヨザックよりも優先すべき事は山ほどあるのだ。
この国の頭に立つ人物なのだから、こればかりは仕方のないこと。
そして、それでいいとも思っている。それが当たり前で、それが正解なのだ。
ヨザックは恋人の顔を思い出し、少し笑った。
こうして、思い出すだけで温かい気持ちになれるのだから、やはりそれだけで十分だろう。
高望みのし過ぎは、良くないと自分を戒める。
恋人への思いを胸にしまいながら、ヨザックは颯爽と歩みを進める。
目の前に迫る城門を見上げ、さあ行くかねと気持ちを改めようとした時、後ろからヨザック!と声をかけられた。
声の主はわざわざ走ってきたらしく、バタバタと足音も一緒について来る。
声の主であり、眞魔国の、そしてヨザックの主でもある彼は、息を弾ませながらヨザックの前で止まると、その黒い瞳で真っ直ぐに見上げてきた。
黒い髪、黒い瞳。
この世でただ一人の、双黒の魔王、渋谷有利。
そして、ヨザックの愛おしい恋人だ。
「新しい仕事?」
「そ! グリエったら有能だから、いっつも閣下にお仕事頼まれちゃうのよねぇん」
「大変だなー。また国外に行くの?」
「今回はちょーっと遠いですね。でも、坊ちゃんの為に頑張ってきますよ。オレの活躍に期待してて下さい」
むんっと力こぶを作ってやると、相変わらず素晴らしい上腕二頭筋だとユーリは感嘆の声を上げる。
「期待してる。あとそれから」
「はい?」
「体に気をつけて、ちゃんと眞魔国に帰ってきてくれよな」
「勿論」
そう笑えば、ユーリもまた満足そうにうんと頷きながら笑った。
眩しい笑顔。愛おしい笑顔。
そんな顔をする彼が大好きで、つい、困らせてみたくなる。
ヨザックは心の中でこっそりニヤリと笑った。
「ところで坊ちゃん、いってらっしゃいのチューは?」
ほれほれと片頬を差しだして、指でちょんちょんと催促をすれば。
「こんな所で出来るわけないだろー!」
と催促をされた方は顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。
こんな所じゃなきゃやってくれるのかと思うと、ヨザックの頬はついつい緩んでしまう。
こういう小さい事が、いちいち愛おしいったらないのだ。
ヨザックは背を向けてしまった親愛なる魔王様の肩を、後ろから抱いた。
ぐいっと抱き寄せ、そのまま端の方へと足を進める。
ヨザックはユーリを抱き寄せたまま、城門辺りで見張りをしている兵士からは見えにくく、また人通りもない場所までやってくると、ユーリの肩からそっと手を離した。
「ここなら、やってくれるんですかね?」
悪戯っぽく笑いかければ、ユーリは考え込むような顔をして、それから辺りをキョロキョロと伺った。
人目がないと確認したのか、ユーリはぐっとヨザックの襟を掴んで顔を己の方に引き寄せた。
抗う理由のない、むしろ大歓迎のヨザックも自分からユーリへと寄っていく。
「一回だけだからな!」
耳元でそう早口に言われ、次の瞬間ふわりとヨザックの頬に当たる唇の感触。
それが今のユーリの精一杯だ。
ヨザックの胸に、愛おしい気持ちが溢れ出す。
「すいません、坊ちゃん」
愛おしい気持ちは溢れて溢れて止まることを知らない。
一応先に謝っておいてから、離れていこうとするユーリの腕を掴んで自分の腕の中に閉じこめる。
黒い髪が、もぞもぞと抜け出そうとしているのが、また愛おしかった。
少し腕の力を弱めて、ユーリが文句を言おうと顔を上げた瞬間を見逃さず、ヨザックは彼の唇を塞いだ。
左手はがっちりユーリの腰を固定して、右手はユーリの頬に添える。
彼のその薄い唇を味わい尽くすように、ヨザックは角度を変えながら何度もキスを繰り返す。
柔らかいその感触がたまらない。
いつまでもいつまでもこうしていたいが、場所が場所である上に、これから出かけなければならないので、これ以上我慢出来なくなる前にと鉄の自制心を働かせ、どうにかユーリの唇に別れを告げた。
離れる間際、名残惜しくて下唇をそっと己の唇で挟むことも忘れない。
ようやく唇を開放されたユーリの頬は赤く染まり、唇はヨザックの唾液とユーリ自身の唾液とでいやに光っていた。
熱がある部分に集中しそうなのをぐっとこらえて、ヨザックは放心したような表情のユーリの頭をぽんと叩いた。
「すいません坊ちゃん。大丈夫ですか?」
「ん」
頷いて、唇を拭うユーリの頭をぽんぽんと何度か軽く優しく叩いて、ヨザックは一歩彼から離れる。
「坊ちゃんがかわいいもんだから、つい。でも、追加で補充させてもらいましたから、これでもう出かけられます」
じゃあと、最後に黒髪を一撫でして、ヨザックは再び城門へと足を向ける。
主に見守られながら出発するっていうのもいいものだと、ヨザックは思う。
「ヨザック!」
強く名前を呼ばれ、振り返る。
先程と変わらぬ場所に真っ直ぐと立つ双黒の魔王の表情は、自信に満ちた満面の笑顔。
先程まで愛した唇が、言葉を紡ぐ。
「いってらっしゃい」
陛下、貴方のその満面の笑顔だけで。
「いってきます、陛下」
オレはこれから暫く、元気に仕事に励むことが出来るんですよ。
仕事へ向かうヨザックの足取りは、軽い。
end
2005.11.02
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