窓の外には月
王の寝室に、窓からそっと忍び込む。
足音を立てるようなヘマは、勿論しない。
気配も殺す。
もっとも、この部屋の主は、そこまで気を遣わなくとも易々と侵入を許してしまうだろう。
魔力はあるが、鈍いのだ。
静かに、寝台に近付く。
部屋の灯りは消えていても、今夜は満月なので十分に明るく、足取りはしっかりと迷うことはない。
王の婚約者である、見た目は美少年中身はわがままプー、でも時々男前のフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは、ビーレフェルト地方に戻っている。
王の愛娘は、人間の国でお勉強の真っ最中。
よって、いつもは二人(時々娘を含めた三人)で眠っているその寝台には、今は本来の使用者である王が一人体を横たえている。
こちらに背を向けているから、その寝顔を拝むことは出来ない。
まだまだ未発達の体のラインが、王の若さを象徴していた。
陛下は魅力的だ。真っ直ぐで眩しい。
けれどそれだけに、心に黒い物を抱えている者にとっては彼の存在自体が脅威であり、抹消したい衝動に駆られることもあるだろう。
彼の周りは気が良く腕の立つ者ばかりで固められており、普段彼は一人でいることがほとんどない。
夜ですら、今夜はたまたまいないが、婚約者という名の護衛が付き添っている。
だから、今夜のような絶好のチャンスを逃すまいとする者が、いないとは限らない。
そう、自分のように。
ヨザックは月明かりを背中に受け、すやすやと健康的な寝息を立てている若き王を見下ろした。
今、彼を殺すことはきっと容易だ。
この部屋に侵入するのと同じぐらい。いや、もっと容易にこなせるだろう。
ヨザックの鍛え上げられた見事な腕が、寝台に伸びた。
王の寝台は、常日頃ヨザックが使っている寝台のようにギシリと音が鳴ることはなく、マットレスに衝撃が吸収される。
音がすれば、王は目覚めたかもしれない。
高級すぎる寝台であるが為に、王は己に迫っている危機を知ることが出来ないのだ。
ふと、シュルリと真っ白なシーツが音を立てた。
もぞもぞと小さな体を小さく動かして、「んー」と小さく呻きながら王が寝返りをうつ気配がする。
けれど、結局そのままこちらに顔を向けることなく、王は眠り続ける。
(ざーんねん)
王からこちらを見てくれれば、無理矢理こちらを向かせるような、無粋な真似をしなくても済んだものを。
更に寝台に体重をかけて、王の体に手を伸ばす。
手が肩に触れようかとしたその時、唐突に王の体が仰向けになった。
ぎょっとして、ヨザックの手が止まる。
起きたわけではなく、いきなり寝返りをうっただけのようだった。
恐る恐る露わになった王の顔を覗き込む。
月明かりに照らされた寝顔は伸び伸びとしていて、見ている者を何とも暢気な気分にさせてしまう。
これではもし暗殺者がやって来たとしても、もしくは誰かが夜這いにやって来たとしても、事には及べないかも知れないなどと酔狂な事まで考え始め、いくらなんでもそれはないかと考え直しながらも、ヨザックは己の中の黒い感情が萎んで消えていくのを感じ、自嘲気味に笑った。
伸ばしていた手を引っ込めて、体を反転しそのままゆっくりと寝台に腰掛ける。
やはり、寝台は音を立てずにヨザックを受け止めた。まるで、王自身のようではないか。
小さく溜息をついて、ヨザックは顔を上げた。
視線の先には侵入してきた大きな窓が一つ。
(良い月だ。ねぇ、坊ちゃん)
声には出さず、心の中で自分の後ろで寝息を立てている王に呼びかける。
こっそりと振り返ると、王はにんまりと笑いながら眠っていた。
本当に、どこまでも平和なお人だよ。
ヨザックは笑って、それから王の見事な黒髪を軽く軽く撫でた。
キスの一つでもしてやろうかと思ったが、やめた。
今夜の夜這いはやはり中止だ。
朝までここで添い寝をして、王の驚く声で目を覚ますことにしよう。
ヨザックは王の隣に潜り込んで、王の寝顔をよく目に焼き付けて、それから目を閉じた。
end
2005.08.29
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