狭い寝台
「うわっ、ちょ、ヨザック!」
もぞもぞと、シーツに収まりながら有利がくぐもった声を出す。
「はいはーい、何ですかあ、陛下」
そんな有利をすっぽりと包むようにして横になっているヨザックは、どこか楽しそうに間延びした声を出した。
顔はいたずらっ子のそれだ。鼻先を有利の黒髪にぐりぐりと埋めると、有利はくすぐったそうに少し身を捩った。
「頼むからあんまり揉むなよー、寝られないだろ」
「えー、だって折角ちょうど良い位置に陛下のかーわいいお尻があるっていうのに、揉まないなんてそんな馬鹿な」
「馬鹿で良いから、揉むなって」
「陛下ってばケチねー」
ぶーっと膨れる姿は子供のようだ。渋々といった呈で有利の尻を揉む手はぴたりと止まったが、そこから手を離す気はないらしい。
お尻のガード体勢は万全だ。今、何人たりとも有利の尻に触れることは適わない。それは有利自身とて例外ではなかった。
尻を押さえ込まれ、体は隙間なく密着している。有利の目の前には、ヨザック自慢の上腕二頭筋に勝るとも劣らない立派な大胸筋が鎮座していた。
女性のそれとは明らかに違うが、これも巨乳と言って言えないこともない。
「なんで手は離さないんだよ……」
「だって、こうしないと後ろからヤラれちゃいますよー? 閣下に」
「ヤらん!」
ねー閣下ー?とニヤニヤしたまま問いかけるより先に、ヨザックの言葉はピシャリと弾かれた。
弾いたのはもちろん、グウェンダル閣下その人だ。
グウェンダルはため息をつきながら、一つに纏めていた髪の戒めを解く。濃い灰色の髪が、しゅるりと音を立てて肩に落ちた。
「ひゅー、色っぽいですねえ」
野次にギロリと一睨みするが、向けられた方はどこ吹く風だ。もっともグウェンダルも、ヨザックがその程度で怯むなどとは毛の先ほども思っていない。
この程度はただの意思表示でしかなかった。
「なに、おれも見たい」
「陛下はダーメ」
ヨザックは、首を後ろへ向けようとする有利の体をがっちりと押さえ込んで、動けなくしてしまう。
押さえ込まれた有利は些か不満そうだったが、ヨザックの力に適うはずもなかった。
おとなしくヨザックの大胸筋や三角筋、胸鎖乳突筋を見ている事しか出来ない。グウェンダルを見ることが出来ないのなら、せめてヨザックの顔ぐらいは見せてくれてもいいんじゃないかと思うが、口にはしない。恥ずかしいからだ。代わりに出たのは不満だった。
「なんだよ、ケチなのはグリ江ちゃんの方じゃんか」
「そうよー。でもいいの、陛下はグリ江だけ見てれば。ね?」
「不公平だー!」
「あらー、グリ江の筋肉じゃご不満ですかあ」
「そうは言ってないけど。それにしても立派な筋肉だよな」
どうにか自由になる右手を、ヨザックの大胸筋に這わせる。ピクピクっと時折動くのは、ヨザックの悪戯だ。
「お褒めにあずかり光栄です、陛下」
「どうでもいいから、もっと端に寄らないかお前達。入れないだろう」
「恋人同士の甘い時間に水を差すなんて、閣下ったら余裕ないですよ」
「ここは、私の、寝台だ!」
「それもそうでした。じゃ坊ちゃん、ちょっとズレますよ」
「それでもケツから手は離さないんだな」
「当たり前です」
にまーっと笑って、ヨザックは有利ごと体をベッドの端へ移動させた。
逞しい背中が壁に当たりそうな程下がれば、ようやく人がもう一人横になれる程のスペースが出来上がる。
「閣下、やっぱり三人にこの寝台は辛いですよ。もっと大きいの買いません?」
「お前がいなければ余裕なんだがな」
ベッドに腰掛け、そのまま足を乗せながらグウェンダルは言う。
一人で使うには大きめではあるものの、三人ともなればさすがに手狭だ。
みっしりと大の男三人が密着し眠る姿は端から見ていても暑苦しい。
それでも苦にならないのが不思議なところだった。
「閣下のムッツリスケベ!」
「何でそうなる」
「だって、それって陛下と二人っきりで寝たいって事でしょうに。オレなしで、一体陛下に何をなさるおつもりで?」
「お前の体が大きいというだけの話だ! 誰がそんな事を言った」
「あれ? じゃあ閣下はしないんですか、陛下に」
そうなのか?と無理矢理首を捻って、有利はグウェンダルを見た。グウェンダルはうっと言葉に詰まり、二の句を継ぐ事が出来ない。
「誰もそうは言っていない。それから、お前もそんな顔をするな」
「え? おれどんな顔してる?」
「寂しそうな、物欲しそうなお顔してますよ。陛下もエッチねー」
ヨザックはニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。その中には僅かに情欲の色が浮かんでいるが有利は気がつかない。
「ウソだろっ!?」
あまりにショッキングなヨザックの言葉に、有利はグウェンダルへと確認せずにはいられなかった。
グウェンダルは眉を少し下げて、コホンと咳払いをすると僅かに首を左右に振ったようだった。
すなわち、否定。
有利のショックはますます大きくなるが、それが横二人共通の認識なのだから仕方がない。
「嘘だよ嘘嘘! そんな顔してないって!」
「陛下ー、素直に認めた方が後で楽ですよ。閣下が欲しいなら、そう言って差し上げて下さい」
「わーわーわーわー!」
耳を塞いで有利は喚くが、二人にとっては可愛いだけだ。
「……もう遅いのだから、少しは静かにしないか」
グウェンダルは有利の左手を耳からはぎ取ると、そっと唇を寄せた。
それを見たヨザックも、有利の右手を耳からはぎ取る。
ふっと息を吹き込んで、首を竦めさせるとそのまま耳の中へと舌を差し入れた。
ピチャリと水音が鼓膜に直接響いたようで、その感覚に腰が砕けそうになる。
「うう……」
「目尻、赤くなってますよ。欲情しちゃいました?」
「俺明日早いのにー」
「ここに来た以上、こうなる事は覚悟の上だろう。諦めろ」
グウェンダルは少し身を起こし、有利を覗き込んでくる。顔にぱさりとかかる、黒にも近いグレーの髪からは洗髪したばかりの匂いが漂ってきた。
有利は覗き込んでくる瞳を見詰め、一度大きく瞬きをすると、そっと瞼を閉じる。
すぐ後に降ってきたキスを受け止めて、明日の朝の事を少し思ったがすぐに隅に追いやられてしまった。
二人がかりで攻められて、そんな事を悠長に考えていられるほどの余裕なんて、有利は持ち合わせていない。
「大丈夫、閣下がちゃんと起こしてくれますよ」
ヨザックは?と思ったが、発言する事は叶わない。
代わりに有利の口から漏れたのは、甘さを含んだ吐息だけだ。
ヨザックは徐に起きあがり、小さく息を吐いた。そろそろ時間だ。
有利を挟んだ向こうから、静かな視線が飛んでくるのを感じる。
「行くのか」
「おっと、そのまま寝てて下さい。陛下まで起きちまいます」
「その心配は無用だ。動けんからな」
グウェンダルの胸元を見れば、ガウンの襟をしっかりと掴んだ有利の手がそこにある。
ヨザックは小さく笑った。
「何もこんな時間に出掛ける事もあるまい。朝まで……ユーリが起きるまでいても問題はないだろう」
「それじゃ、名残惜しくなっちゃいますから。もう十分満たされましたし、欲張りすぎは良くありません」
ヨザックは目を細めて、眠る有利を見詰めた。安らかな寝顔は、見ているだけで心が満たされていく。
朝までこの寝顔を見続けて、目を開けた瞬間一番に自分を見てもらえたならそれはどんなにか幸せだろう。
ただ、やはり高望みのし過ぎは良くない。過ぎた欲は、身を滅ぼす。
「すまんな」
「何を謝るんですか。オレはね、陛下と、そして閣下のお役に立てるなら何の文句も不満もありゃしませんよ。長期潜入任務だって、いつも通り完璧にこなしてみせますってえ。あ、でも陛下にお手紙を出すぐらいは、許してくださいね」
「任務に支障がなければ構わん。これも、寂しがるからな」
「返事を送ったりはしないようにして下さい」
「その辺はいくらこいつでも弁えているだろう。バカだが、愚かではない」
ヨザックは頷いて、有利の髪に触れた。指の間を、黒い絹糸が通り過ぎていく。そのわずかな刺激が、心地よかった。
「陛下にキスしていっても、いいですか」
「私にきくな」
一応ねと笑って、ヨザックは無防備な有利の寝顔に口付ける。
起こさないように優しく、軽く。行ってきます陛下と、小さく呟きながら顔を上げると、ヨザックは満足げに微笑んだ。
そのまま有利とグウェンダルを飛び越えて身軽にベッドを降り、脱ぎ散らかしていた衣服を纏う。それだけで準備完了だ。
少ない荷物は、昨夜のうちに纏めて馬小屋の方へと隠してある。
軽く伸びをして、ふとグウェンダルの方をいたずらっ子の瞳で見た。口元はにんまりと歪んでいる。
陛下にして猫みたいだよなと言わしめた笑い方だ。
「そうだ、閣下はしてくれないんですか、いってらっしゃいのキス」
「……すると思うのか」
「閣下ったら冷たいー。ま、閣下はそれでいいんですけどね。それじゃ、行ってきます」
「……ああ」
グウェンダルは、余計な事など言わない。気をつけろだとか、しっかりやれだとか、そんな言葉は必要ない。
言わずとも、グウェンダルがヨザックの身を案じている事は伝わっている。それで十分だった。
寄せられる信頼と親愛が、嬉しかった。
大股で、ヨザックは颯爽と歩き出す。
これから向かう先には危険だって待っているかもしれない。それでも、生きて帰ってくる。
陛下と閣下のいない所じゃ、死んでも死にきれなくなっちゃいましたからねえと、ヨザックは晴れやかに笑った。
パタンと扉が閉まり、部屋は静寂に包まれた。ランプを手繰り寄せて、灯りを落とす。オレンジの灯火が消え去った部屋は、黒と灰色に染め上げられた。
窓から差し込む月明かりのおかげで真っ暗ではなかったが、どこか部屋が寒くなったように感じる。
色の効果とは不思議なものだ。
青白く月明かりに照らされる有利の顔を見詰め、グウェンダルは息をつく。
「狸寝入りが、うまくなったな」
「……あ、やっぱ気付いてた?」
隣でごそりと、有利が動いた。
「あれも、気付いていただろう」
「やっぱそうだよな。でもなんか、寝てなきゃいけない気がしてさ」
「ああ、それでいい」
頭をぽんと一撫ですれば、有利は瞼を反射的に閉じる。
彼の体がブルリと震えたのは、右側の温度がなくなってしまったからかもしれない。
「なんか、寒くなってきた」
もっと寄っていいかと尋ねられたグウェンダルは、腕を伸ばして有利の腰を抱き寄せた。シーツがよれるが、気にしない。
「あったかいな、グウェン」
「お前の方が温かいだろう」
「子供だからって言いたいのかよ」
「よく判ったな。少しは成長しているようで何よりだ、魔王陛下」
「ぐわー、嫌味」
顔を顰めながら、有利は鼻先をグウェンダルの頸部へと沈める。
すり寄ってきた猫にそうするように、グウェンダルは背中を優しく撫でてやりながら、月を見上げた。
「でもさ、三人ならもっとあったかいよな」
眠そうな声で、小さく有利が呟く。
「ああ、そうだな」
知ってしまった三人分のぬくもり。当分は、手にする事は出来ないだろう。
グウェンダルは目を閉じて、柑橘色の髪を思い出す。
今回の任務は、そう危険なものではない。それでも、いつどこで命を落としてもおかしくなかった。
彼の仕事はそういうものだ。
「グリエが戻ってきたら……」
つい漏らしてしまったのは、彼の去り際に見た満足げな笑みを思い出したせいかもしれない。
有利は顔を上げて、こちらを窺っていた。その黒い瞳に、我に返る。
「いや、何でもない。忘れてくれ」
「言いかけて止めるのってよくないぞ」
「だから忘れろと言っている」
「気になるじゃん! まあでも、予想はつくんだけどな」
「ほう……」
有利は目を閉じて、眠る体勢に入る。布団を掛け直してやると、くすぐったそうに身を捩った。
「ヨザックが帰ってきたら、また、ここに泊まりにくるからな」
「……ああ」
グウェンダルも瞼をおろし、眠りに入る。
一人分足りない温度を補うように、二人は体を寄せ合い、部屋はそのまま静寂へと導かれていった。
end
2007.10.10
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