乱れた髪
その日あったコンラッドのいない間の出来事を、コンラッドに話すのが日課だった。
「今日は何かありましたか?」
コンラッドは柔らかな笑みを浮かべて、話を促す。
「そーだなー、珍しい事はあったな」
「へぇ、どんな珍しい事です?」
暖かな部屋の中、ミルク片手にユーリは今日あった事を思い出す。
揺れる濃い灰色の髪。それを撫でつける無骨な手。
思い出しながら、ユーリは名付け親に話し始める。
それは、今日の午後のことだ。
「うわっ、グウェン髪が乱れてる」
そりゃあもうものすごい乱れようだったのだ。
ドアを開けて開口一番にそう言ってしまう程に。
「何か用か」
「そりゃ用があるから来たんだけど、一体何やってたんだよ」
「聞くな!」
短くそれだけを叫ぶようにグウェンダルは言い切ると、ふるふると小刻みに体を揺らし始めた。
思い出しているらしい。何をしていたのかはユーリには分からないが、大本の原因はよーく分かってしまった。
結局、いつものことなのだろう。
グウェンダルは一定時間震えた後、無造作に手で髪に触れた。
その無骨な手で何度か髪を撫でつけたが、乱れは収まることを知らないかのようだった。
見ていると、良くなるどころか悪くなっている様な気がしてならない。
「おれやろうか?」
どうも見ちゃいられなくて、ついユーリはそう口にしてしまう。
ついでに部屋の中程まで進んでいく。近くで見れば見るほど、グウェンダルの髪の乱れはえらいことになっている。
「あー、人の髪なんて触ったことないけど、悪いようにはしないし」
「遠慮する。構うな」
「だーってさー、普段きっちりしてるグウェンがそんなんだと気になってしょうがないだろ。大体、前見えてんの?」
乱れに乱れた前髪は、どう見てもグウェンダルの視界を遮っているようにしか見えないのだ。
横からも後ろからも上からも、あちこちから髪が流れてきている。
鬱陶しいことこの上ない。
「そのまんまにしておくと、絶対目が悪くなるぜ。せめて櫛とか使えばいいのに」
「そんなものはこの部屋にはない」
そう、ここはグウェンダルの執務室なのだ。仕事に関するものは置かれていても、身だしなみを整えるような道具は目に入らない。
「じゃあ、やっぱおれがやってやるよ。自分じゃ見えないだろ?」
話ながら、机に向かっているグウェンダルの真後ろに立つ。
後ろから見ても、無法地帯なのは変わらなかった。
グウェンダルが何も言わないので、ユーリはそっとグウェンダルの髪に手を伸ばした。
触れると、一瞬ピクリと反応したが、やはり何も言おうとはしない。
これは許可されたのだろうと、ユーリは髪を傷めないよう、慎重に髪を結っている紐を探る。
なるべく髪を引っ張らないように注意しながら、どうにか紐を外すと、すとんとグウェンダルのその灰色の髪が落ちた。
「結構長いんだな」
ギュンター程ではないにしろ、グウェンダルの髪はこうしておろしてみると、それなりに長い。
「願掛けとかしてんの?って、んな訳ないよなぁ」
だってグウェンダルだもんなとユーリは笑い、優しく手で髪を梳き始める。
手櫛でも、思っていたよりずっと素直に髪はその乱れをおさめていった。
グウェンダルの場合、縛りっぱなしで整えようとするのが、そもそも間違いだったのである。
何度も何度も手で梳いて、絡まりや乱れがなくなり始めると、既に頭を撫でているのか髪を梳いているのか分からなくなってくる。
けれど。
グウェンダルの髪に触れるのは、案外気持ちが良かった。
グウェンダルもまた、悪く思ってはいないようだった。
真後ろに立つユーリからはその表情を伺い知ることは出来ないが、グウェンダルは目を閉じてユーリのしたいようにさせている。
それが答えなのだろう。
「さっきと同じところでいい?」
紐を手に、髪を一つにまとめながらユーリは尋ねた。
グウェンダルはああと短く返事をしただけだ。
「じゃ、キツかったら言えよー。おれ初めてなんだから、失敗するかもしんないし」
そう言いながら、グウェンダルの濃い灰色の髪を一つにしっかりと括っていく。
ゴムですらあまり使わないのに、紐となると余計に纏めづらいが、それでもそれなりに形になるものだ。
手を離すが、紐で括られた髪はその位置からずれることも落ちることもなかった。
「よし、出来た」
ユーリの言葉に、グウェンダルの手が髪に伸びてくる。
その手はそのまま己の髪を何度か撫でて、どうなっているのか確認しているようだった。
「気になるなら、後でちゃんと直してもらえよな」
「いや、いい。すまんな」
そう言われ、ユーリはグウェンダルの後ろから前へと戻った。
グウェンダルの顔を見れば、最初に入ってきた時よりもずっと穏やかな表情で、やっぱり髪が乱れてると心も乱れるんだなとユーリは一人納得する。
顔を上げたグウェンダルと目が合うと、すっと突然グウェンダルの手が伸びてきた。
大きく無骨な手は、ユーリの髪に触れて、すぐに去って行く。
一瞬遅れて、急にユーリの心臓がドキドキと言い始めた。
急に手を伸ばされて驚いたのだと、そう心臓の変化を解釈して、どうにか心臓を落ち着ける。
こんな事ぐらいで動揺するなんて、おれもまだまだだ。
そんなユーリの心境の変化なぞに気付いた様子もなく、グウェンダルはユーリの目の前に手を掲げる。
「ゴミがついていたぞ」
「あ、ありがと」
グウェンダルの指が埃のようなものを摘んでいて、ユーリはそれを受け取る。
一瞬だけ触れた、グウェンダルの指先は冷たかった。
「自分の身だしなみにも気を遣え」
「さっきまでボンバーヘアだったヤツに言われてもなー」
ユーリは笑い、グウェンダルもふっと小さく笑った。
ゴミをポケットに入れて、ユーリはグウェンダルの部屋へと赴いた用件を、ようやく口に出した。
「と、言うことがあった」
言い終わると、名付け親はくすりと笑った。
「何だよ、何かおかしかったか?」
「いいえ、本当に珍しいなと思っただけです」
「だろー。いつもきちっとしてるから、グウェンが乱れてると違和感あるよな」
「いえ、そうじゃなくて」
否定したコンラッドは、言おうかどうしようか考えたような間の後、口を開いた。
「グウェンダルが髪を触らせることが珍しいなと思ったんです」
コンラッドは、にっこりと笑った。
「他人に髪を触らせるような事はないんですよ。きっとユーリだから、触れたんでしょうね」
何だかんだで、ユーリにはかなり気を許しているのだ、彼は。
end
2005.11.21
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