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冬の朝



「陛下にお会いして行かれないんですか?」
 短い髪、愛くるしい大きな瞳、細っこい身体、彼女が全体に纏う雰囲気は快活そのもの。
 手を添えている大きなお腹の中には、グウェンダル自身とも遠くはあるが血の繋がる事になる生命を宿している。
 まだ新しい生命は、順調に成長しているようだった。
 グウェンダルはこちらを見上げてくる彼女、ニコラに視線を向けた。
 もともと長身な上に馬上の人であるグウェンダルを見上げるため、小柄なニコラは首をかなり持ち上げなければならない。
 些か苦しそうであるが、彼女の顔は笑顔だ。
「血盟城に用はない」
 きっぱりはっきり淀みなく言い捨てるグウェンダルの声は、低く重い。
 ニコラはぱちくりと目を瞬かせ、次の瞬間には心の底から意外だと言わんばかりの表情になった。
「恋人同士ですのに?」
「誰がだ!」
「閣下と、陛下が」
 当たり前の事をどうしてお聞きになるのかしらと首を傾げるニコラによって、見る見るうちにグウェンダルの眉間の皺レベルが上昇する。
「何度も言っているが、私とあれは決してそのような関係ではない」
 何度言っても、聞く耳を持ってはくれないのだが。
 しかしだからといって、否定しない訳にもいかない。
 どうして女というのは……と、グウェンダルは口にはせずに心の中だけで思う。同時に、ちらりと燃えるような赤が脳裏をよぎるが、首を横に振って振り払った。
 もしこういう事を考えていたとあの赤に知られたら…そう考えるだけで背筋が粟立つ。
 そんなグウェンダルの一連の行動を見ながら、天然なニコラは「閣下ったら、照れていらっしゃるのね」と笑う。
 それがまたグウェンダルの眉間の皺を深くするのだが、彼女はにこにこしているだけで、気にした様子はない。
 グウェンダルの眉間の皺を深くする名人だ。
 もし、グウェンダルの眉間の皺を刻もう大会などがあれば、ニコラは対抗に選ばれるだろう。
 本命は勿論、眞魔国三大悪夢の一人であるマッドマジカリスト・フォンカーベルニコフ卿アニシナ嬢である。
 ニコラは右手の指先を自分の唇にあて、うーんと何かを思い出すかのような仕草をした。
 彼女が何を思い出そうとしているのか、グウェンダルには勿論分かるはずもない。
「……最後に」
 彼女の形の良い唇が動く。
「最後に陛下にお会いした時、別れ際に言われたんです」
『グウェンダルによろしく』
 かつて、魔王と間違われた事もあった彼女は、実際には魔王とは微塵も似ていない。
 髪型が近いぐらいで、性別も顔も体つきも声も何一つ似てはいないのに、彼女の口からこぼれ出た魔王からの言葉は、魔王本人から言われたかのようにグウェンダルの心に伝わってくる。
 魔王の声。魔王の笑顔で。
 右手首が、きしりと痛んだ。
「ですから、陛下もきっとお会いになりたがっていると思うのですけど」
「いやそれは、ない」
 陛下ことユーリに好かれていないことぐらいは自覚している。それは別に構わないし、好かれようとも思っていない。
 もし万が一好かれたとしても、ユーリの周りにいる者達の性格を考えれば、好かれていない今の状況の方が絶対に幸せだ。
 言い切れる。
 下手に好かれたその日には、呪い殺されること間違いなし。
 主に王佐に。
「それよりも、こんな所にいつまでも立っているとお腹の子に障るだろう。早く行くがいい」
 もう冬なのだ。往来で立ちっぱなしになっているのは、明らかに妊婦には良くない。
 血盟城はすぐそこだ。中に入れば暖かな部屋が待っている。温かな人達も、彼女を受け入れてくれるだろう。
 グウェンダルは自分の部下である兵士に目配せをして、ニコラの側につかせる。城まで安全に送り届けるのが彼らの役目だ。
 ニコラも寒さが身にしみたか、それ以上血盟城へ誘うことはしなかった。
 かわりに、深々と頭を下げた。
「本当に有り難うございました。こんなによくして頂いて、感謝しています」
 その表情は、彼女によく似合う満面の笑顔。
「ついでだ。礼を言われる程のことではない」
 グウェンダルはいつも通りの不機嫌そうな顔で、ニコラから視線を外した。
「ではな」
 馬の首を巡らせ、グウェンダルは血盟城に背を向ける。そのまま馬は足を動かしはじめたが、三歩程進んだところで迷うように止まった。
 グウェンダルは振り向くことなく、実に言いにくそうにぼそりと言葉を吐き出した。
「…………陛下によろしく伝えてくれ」
 再び馬の足が動き出し、結局振り返る事なく、グウェンダルはその場を去って行った。



 残されたニコラは、その一行を暫く見送った後、白い息を吐いて笑った。
「やっぱり、陛下のことを思っていらっしゃるのね」
 男の人って、素直じゃないわ。



end
2005.08.16
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