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ティータイム前の攻防



 放課後の会計室には、いつもように三人の姿があった。
 パソコンに向かっているのは西園寺で、七条と啓太は扉の側で書類の遣り取りをしている。
「ではこれを、生徒会に届けて下さい」
「はい! 行ってきます」
「行ってらっしゃい。戻ってきたら、お茶にしましょうね」
 準備をして待っていますから、早めに帰ってきて下さいと七条は笑んだ。
 それに応えるように啓太もまたにっこりと笑う。
「楽しみにしてます!」
 そう言いながら、啓太は元気よく会計室を飛び出して行った。
 バタンと扉が閉じると、七条は今日は何のお茶にしようかと考え始める。
 今日のおやつは甘い苺のスイーツなので、見ただけで嫌そうな顔をするだろう西園寺のために、すっきりした紅茶を淹れることにする。
 嫌そうな顔をすると判っていてもスイーツをテーブルに並べるのは、勿論七条自身の楽しみでもあるが、何よりも啓太の喜ぶ顔が見たいが為だ。
 啓太が嬉しそうに美味しそうに甘い物を頬張ってくれるのなら、西園寺に嫌そうな顔をされるぐらい何でもない。
 彼の幸せそうな顔は、見ていて心が綻ぶ。
 そう感じているのは、七条だけではない。
 その証拠に、最近西園寺もおやつの時間に関して強く言うことはなかった。
 七条は視線をパソコンの前に座っている西園寺に向ける。その視線に気付いたのか、西園寺が口を開いた。
「啓太に行かせるより、お前が行った方が早かったんじゃないのか」
 口を開きはしたが、視線はパソコンのモニターから動かさないままだった。
 声には感情の起伏が大きく現れているわけではなかったが、長年一緒にいる七条には彼の心情が判ってしまう。
 くすりと小さく苦笑を浮かべて、七条は無表情に徹しようとしている西園寺の後ろに立った。
「伊藤くんと、二人きりになりたかったんですか?」
 彼は、七条が啓太を生徒会室へと行かせたことを、面白く思っていないのだ。
「臣、誰がそんな事を言った。私が言いたいのは……」
「僕が行った方が、話が通じやすいからでしょう? ちゃんと判っていますよ。でもね、伊藤くんが僕等のお手伝いをしたいって言ってくれるのですから、させてあげたいじゃないですか」
 それは郁も同じでしょうと尋ねれば、そうだなと素直な返事が返ってくる。
「私だって啓太を信用していない訳じゃないし、そういう健気な所は愛おしいと感じている。それに、啓太の喜ぶ顔を見るのは、好きだ」
 七条からは見えない西園寺の表情は、確かに輝いている事が伝わってくる。
 啓太の話をする時の西園寺の表情が、優しさと愛おしさに溢れている事を七条は知っている。
「だがな、それとこれとは別だ。あの書類は渡して終わりという訳にはいかないだろう」
「ええ、ですから何かあれば直接こちらに連絡をするようにと、書類にメモ書きを付けておきました。二度手間ですが、あちらもすぐに目を通すとは思えませんしね」
「まあそうだな。ならいい」
「はい」
「あとな、臣」
「なんでしょう」
 そこで、ようやく西園寺は椅子を回して七条の方へと顔を向けた。
 視線から解放されたモニタには、数字とアルファベットの羅列が表示され続けている。
 西園寺は口の端を少しだけ上げて、七条の瞳を真っ直ぐに見据えてきた。形の良い唇が、言葉を紡ぎ出そうと動き出す。
「お前は、私と啓太を二人きりにさせたくなかったんだろう?」
 西園寺の表情は不敵という表現がピッタリで、七条は心の中でああやってしまったなと溜息をついた。
 確かに、彼の言う通りだ。
 七条は両手を顔の横で広げて、苦笑した。
「郁の言う通りです。僕は、伊藤くんと郁を二人きりにしたくありませんでした」
 お見通しですねと、七条が言えば西園寺も当たり前だと返す。
「さっきの言葉をそのままお前に返そう。二人きりになりたかったのはお前の方だろう、臣」
「ふふ、そうですね。僕はね郁、伊藤くんが好きです。だから、ずっと一緒にいたいと思いますし、独占したい。僕だけを見ていて欲しいし、いつも僕を選んで欲しいとも思います。それが僕の独りよがりな思いだと言うことも、勿論承知しています。でもそれは、郁もでしょう?」
 仕返し開始とばかりに、七条は西園寺に尋ね返した。
 七条は顔だけで笑って西園寺を挑発するが、西園寺はそれを歯牙にも掛けずにフッと笑った。
 七条が開き直ってしまったからか、それともそもそもの性格故か、西園寺も又素直に答える。
「ああ、啓太と過ごす時間は悪くないからな。あれは、見ていて飽きない。くるくると変わる表情も、照れたようにこちらを見ているあの目も、愛でていたいと思う」
 西園寺の脳裏に浮かんでいる啓太の笑顔は、西園寺にのみ向けられたものだ。
 同時に、七条の脳裏に浮かんでいる少し困ったような表情の啓太も又、七条にだけ向けられたもの。
 その表情を、もっと直に見ていたいと二人は思う。
 今この場にはいない愛おしい存在を思い出しているだけで、心が温まっていくのを感じる。
「いくら郁にでも、彼だけは譲れません」
「奇遇だな、私もだ」
「彼が、僕等を選んでくれるかどうかはまた別の話ですけれどね」
「ああ、そうだな」
 目を閉じれば、そこに啓太の姿が浮かび上がる。それは幸せな事だけれど、足りない。
 圧倒的に、不足している。
 必要なのは、本物の笑顔と声と、スキンシップ。
 生徒会室から戻ってきたら、あの跳ねた髪や、よく膨らむ頬に指先で触れよう。何ですか?と照れたように困ったように笑うその姿を目の前にするあの幸せを、噛みしめようじゃないか。
「だが、選ばせてみせるさ」
「僕も負けませんよ。ただ伊藤くんは優しいですから、二人のどちらかを選べと言っても選んでくれないかもしれませんね。最悪、二人とも振られてお終いです」
「だったら何だ、啓太に振られるのは嫌だから二股をかけろとでも言うのか」
「僕は……そうですね、振られるぐらいならその方が良いです。三人とも不幸になるより、三人で幸せになった方がいいじゃないですか。建設的でしょう?」
「悪趣味な」
 吐き捨てるような西園寺の台詞に、七条は薄く笑った。
「でも本当に、案外悪くないと思いますよ。気が向いたら、考えておいて下さい。何にしても、選ぶのは伊藤くんですけどね」
 この件に関しては、彼の選択を待つしかないのだ。
 無理強いをするつもりはない。
 彼が幸せでなくては、意味がないのだから。
「さて、お茶でも淹れましょうか。郁も、作業が途中でしょう? 伊藤くんが戻ってくる前に片付けてしまって、三人でゆっくりおやつにしましょう」
「私は食べないぞ」
「勿論、判っていますよ。伊藤くんが美味しそうに頬張っている姿が見られれば、郁はそれで満足だって事ぐらいね」
「……臣、今日はやけに突っかかって来るじゃないか」
「郁に突っかかるだなんてとんでもない。僕はいつも通りですよ」
 ね?と笑う七条の表情はとても笑っていなくて、後ろには黒い羽と尖った尻尾が見え隠れしている。
 ふふふと、不穏な笑い声が木霊する会計室は、今日も平和だ。


END
2006.07.18
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