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やさしいひとたち



 今日も今日とて、それが当たり前のことであるかのように啓太は会計部に顔を出した。
 会計部の面々も慣れたもので、その事に違和感を覚えることもない。
 七条は啓太の分の紅茶や菓子を当然のように用意してくれているし、西園寺もまた、これは啓太に任せようと小さな仕事をいくつか啓太用に用意していたりする。
 それでも、啓太はあくまで部外者だ。
 会計部の深い所での話には勿論参加することなど出来ないし、するつもりもない。それは判っている。
 判っては居ても……。
 目の前でこうして、二人だけで内緒話をされるのは正直気持ちの良い物ではない。
 ティーカップを片手に、啓太は目の前の二人を眺めた。
 七条は資料片手に、西園寺にだけ聞こえるように声を落として話し続けている。西園寺はそれを聞きながら時折口を挟んでいるが、やはり声は七条にしか聞こえないほどの小ささだった。
 こちらへの配慮故の行動なのは、啓太も理解している。
 部外者に聞かれていい話ではないのだろう。そういう線引きを、この二人はきちんと行っているだけだ。
 それでも、どうしても拭いきれない疎外感が、啓太を今支配している。
 出来ることなら、あそこに自分も置いて貰いたい。
 会計部の大事な仕事の内容を知りたいわけではない。
 ただ、寂しいのだ。
 目の前で繰り広げられている二人の世界に入ることの出来ない事実が、啓太には少しだけ辛い。
 会計部に正式に加入すれば、この中に入れるようになるかもしれないと紅茶を一口啜りながら考える。
 けれどやっぱり、大事な話はこうして二人でしてしまって、啓太には深く関わらせてもらえない様な気もした。
(信頼、されてないのかな……)
 だが、それも仕方ないかもしれない。啓太は頭が良いわけではないし、パソコンや学内の事情に詳しいわけでもない。会計部での手伝いをしてはいるものの、正直に言って大して役には立っていない自覚もある。
 だから、例え啓太が会計部に入ったとしても、やはり今と大して変わらないに違いないのだ。
 実際にそうされた訳でもないのに、自分の勝手な想像で落ち込んでしまう。
 啓太は溜息を一つ零して、視線を手元のカップに落とした。
 琥珀色の綺麗な液体が、ゆらゆらと揺れている。
 不安定な水面に歪んで映っているのは、頼りない啓太自身の顔と…。
「元気がありませんね」
 心配そうに眉を下げている七条臣の顔だった。
 ばっと顔を上げ、そんなことありません!と力一杯否定するも、七条は困ったように笑うだけだ。
 信じてもらえていない。
 自分の態度を考えれば、それは当たり前の事かもしれないと思うのと同時に、悲しくもなる。あまりに自分勝手だ。
 そんな思考が、如実に表情に表れている事に当の本人である啓太だけは気付いていない。
 気付いている会計部の二人は、互いに視線を絡ませあって、小さく頷き合った。
「啓太」
「はい!」
 西園寺の呼びかけは、いつも啓太の背筋を伸ばしてくれる。
 ティーカップをソーサーの上に戻して、啓太は真っ直ぐ西園寺の方へと視線を向けた。
「そんな顔をするな。まるで私達が、お前を苛めているみたいに見えるだろう」
「すみません……」
 しゅんと項垂れる啓太の背に、七条が優しく触れる。
 上下に優しく撫でられ、その心地よさにこのまま目を閉じて眠ってしまえたらどんなにいいだろうかと思う。
「郁はね、心配しているんですよ。勿論僕もね。よろしければ、君にそんな顔をさせている原因を教えては頂けませんか?」
 ね?と七条は優しく笑いかけた。
 その笑顔につい口を開きそうになるが、とても言えない事に寸での所で気付くと、啓太はそのまま押し黙ってしまう。
 言えるわけがないのだ、寂しいだけです…だなんて。
「あの、大丈夫ですから! 俺が勝手に変なこと考えてただけなんです。お二人に心配してもらって悪いとは思っているんですけど、すみません」
「変なこと、ですか?」
「いえっ、その別に変な訳じゃないんですけど、ただちょっと恥ずかしいっていうか、おかしいっていうか、やっぱり変っていうか、その」
「啓太」
 西園寺の声に、びくりと体を揺らす。西園寺は落ち着けと、啓太に向けて言外に語っている。
 啓太は西園寺を見るが、怒っている様子はない。むしろ、見守ってくれているように感じた。
 心配……してくれているのだと、周りの空気が啓太に教えてくれる。
 横に立つ七条に顔を向けると、やはり優しい笑顔で啓太を見守ってくれていた。
 無言ではあっても、自分を思い遣ってくれる二人の気持ちが伝わってくる。その事が、嬉しくて仕方がない。つまらない疎外感になど捕まって、二人に心配をかけてしまった事を、心から申し訳なく思う。
 ぎゅっと手を握りこんで、啓太は意を決したように西園寺と七条に、順に視線を送った。
 無理強いをしてくる事など無く、むしろちゃんと本人の意思で話し出せるようにじっと待ってくれている二人に、啓太は心から感謝した。
 そんな二人に応えたいと思う。
「あの!」
「何だ」
「俺……その、さっきお二人で何か話していたでしょう? それが、会計部の大事な話だって判ってるし、だからこそ部外者の俺に聞こえないように小声で話していたのも、判ってます。俺が聞いちゃいけない事なんだし、むしろ気を遣わせちゃってるなーって、それはちゃんと判ってはいたんですけど、ただ…」
「ただ?」
「仲間外れみたいで寂しかったんです。俺はあの間に入っていけないんだなあって思ったら、なんか辛いっていうか。あ、でも話が聞きたいとか、二人に迷惑を かけたい訳じゃありませんっ! 俺は正式に会計部に入ってる訳じゃありませんし、聞いちゃいけない事も多いじゃないですか。それでも、こうやって俺の話を聞 いてくれたり、追い出したりしないで傍にいさせてくれたり、そういう事がすごく嬉しいんです。なのに心配を掛けるような事をして…俺今、すごく恥ずかしい です」
 言葉通り、恥ずかしくて顔を上げることが出来ない。
 呆れられただろうか。落胆されただろうか。子供っぽい感情だって事は、喋りながら自分でも感じていたことだ。自分でもそう思うぐらいなのだから、二人にはもう幼稚園児を見ているようなものだったかもしれない。
 考えれば考えるほど、恥ずかしくって仕方なくなる。どうしてこうなんだろう…。
「啓太」
 不安にまみれている所に、西園寺の声は随分と優しく聞こえた。
 いつものような厳しい色が、今の声には含まれていなかったように啓太には聞こえた。願望がそうさせただけかもしれないと思いながらも、啓太の顔は自然と西園寺へと向けられる。
 彼の声には強制力があると、啓太は実感した。
「お前はバカだな」
 ふっと、西園寺の顔に微笑みが浮かぶ。
 それは呆れと、そして優しさに溢れる微笑みで、整ったその顔に恐ろしい程よく似合っていた。
「西園寺さん……」
「だが、そこも良い。私はそういうお前が好きだ。……臣」
「はい郁」
「今日の分はもう終わりだな?」
「ええ。学生会から回ってくるはずの書類が来ていませんので、今日はこれ以上は出来ませんね」
「そういう訳だ啓太」
「は?」
 なにがどうなってそういう訳なのか理解する前に、西園寺は椅子から立ち上がってしまう。
 尋ねようとすると、にこりと笑われた。それでもう、啓太は動けなくなってしまう。西園寺の笑みには、確かにそれだけの力があった。
「あの、何が……」
「さあ伊藤くん」
 それでもどうにか口だけは動かそうとしたが、啓太の問いは軽く流され、目の前には七条の掌が差しだされている。
 うっかりその手を取ってしまうと、そのまま引き上げられた。
 いつの間にか腰にも七条の手が添えられており、啓太は七条に抱え込まれるように立ち上がる。
 西園寺は既に、会計室から出ようとしていた。
 七条は啓太にニッコリと笑いかけながら、耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
「今日はこれから、たっぷりと一緒に過ごしましょうね。僕と郁で君を挟んで、嫌というまで傍にいますから」
 七条の吐息と、優しい囁きに背筋をゾクゾクと何かが走る。それが不快感なのか快感なのか、混乱する啓太の頭では判断することが出来なかった。
「あの、えっ!?」
「二人とも早くしろ」
「はい、今すぐ。行きましょうか、伊藤くん」
 西園寺に促され、七条は楽しそうに啓太の手を引く。
(……俺が寂しがったから、一緒にいてくれるって事なの、か?)
 二人の行動の理由を考えながら、啓太は七条のされるがまま、引きずられるように会計室を後にした。
 誰もいなくなった会計室の扉はバタンと閉じて、そのまま翌日まで開けられることはなかった。
 会計部の業務、本日これにて終了。



end
<2006.07.09>
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