FamousDay(サンプル)
(坊ちゃん:アニス・マクドール)
「これは、すごいな」
闊歩する人々の表情は明るい。これから観劇する人々は期待に胸を躍らせ、見終わったばかりの人々は興奮で瞳を輝かせている。彼らの熱気に気圧され、アニスはぽつりと呟いた。
「この一帯は今回の目玉ですからね。これだけの数の劇団が一堂に会することなど、滅多にある事ではありません」
「確かに随分と賑わってる。それで、僕らはどこへ」
「とりあえず、一番突き当たりにある小屋に向かおうかと。劇団の規模は小さいものですが、なかなかクセのある役者が揃っていると近頃評判だそうですよ」
グレンシールもまた演劇に詳しい訳ではなく、全ては聞いた話でしかない。また、正直なところ興味がある訳でもなかった。職務に必要な情報だから仕入れただけに過ぎない。アニスも似たようなものなのだろう、小屋を眺めながらふぅんと気のない返事をするだけだった。
まだ次の舞台までは時間がある。二人はその間に次の回の観劇券を買い求め、残りの時間は付近を見回りがてらに歩いた。人そのものが多く、更には小屋がひしめき合っていることで死角も多い。目玉と言われているだけあってそれなりの数の兵士が配置されているが、それでも足りてはいなかった。特に、小屋の裏手にまでは目が届いていない。裏手は楽屋である天幕と、広場を囲う塀しかなく、出入りするのは劇団の関係者のみという事もあって、兵は殆ど配置していない。治安上の課題を再確認しながら暫く歩き続け、一回りしたところで通りに面した商店の塀に背中を預けることにした。一帯を見渡せるその場所に落ち着いたところで、アニスが笑みを浮かべている事にグレンシールは気がついた。
「何かありましたか」
「夢でも見ているみたいだと思って」
町ゆく人々は誰も彼もが笑顔だ。楽しそうに笑いさざめき、暗い影を落とす者はいない。一年にたった一日だけの特別な日を謳歌しているのが見て取れる。赤月帝国時代末期の荒んだ面影は見られず、国が前向きに進んでいることをアニスは実感していた。二年前、トラン共和国となってから初めて都を訪れた時にも、その目映さに目がくらんだものだが、今はそれ以上だった。
「外に出てきて良かった」
「そういえば、本日は観光を?」
「クレオに、折角だから祭りを見てこいって言われてね。いつも建国祭の前後はグレッグミンスターにいなかったから、こうして見て回るのは初めてなんだ。ああでも気遣う必要はないよ。今も十分過ぎるほど楽しんでる」
グレンシールが一瞬浮かべた躊躇の表情をさっと読み取り、即座に否定をするアニスに対し、グレンシールは何も言わずに頷いた。初めてならば、グレンシールとしては祭りをゆっくり堪能して貰いたいところだが、本人がそれを否やと言うのであれば、無理に勧めることも出来ない。
「この時期に戻ってきても、暫くは忙しくて会えないだろうと思っていたし、ましてこんな風に一緒に歩けるなんて思ってもいなかったから、楽しいよ」
悪戯っぽく目を細めるアニスに、グレンシールは何とか笑みを返すことに成功したが、言葉をかける事は出来なかった。アニスから与えられる言葉はひどく甘く、職務中だと強く自分に言い聞かせねば彼を今すぐこの場で抱き締めていたことだろう。グレンシールが己の中の衝動を必死に堪えていると、アニスはふと彼の手にしている鑑賞券に視線を落とした。そこには開演時間と劇団名が素っ気なく記されているだけだ。
「そういえば、演目は?」
「今日は建国記念日ですから、そこは勿論、トランの英雄の物語です」
「そうだろうと思った。観劇が目的で無いとは言え、些か気が重いな」
「貴方という人物が、いかに民から慕われているか客観的に知る良い機会だと考えますが」
「僕が好かれる必要は無いし、そうならないように無責任に国を出た筈なんだが」
「存じています。ですが、それがかえって、貴方を救国の英雄としてしまったようですね」
「うまくいかないものだね」
グレンシールの言葉に、アニスは苦みを含ませて笑った。
英雄の間だけではなく、戯曲や詩、そして演劇に小説と、英雄を描いた媒体は数知れない。客観的に起こったことだけが書かれたのは歴史書ぐらいのもので、その他は大抵が英雄譚だった。国のため、民のために立ち上がった将軍の息子が、犠牲を払いながらも国を打ち倒し、見返りを求めることなくひっそりと姿を消す姿は民の心を打った。それをさらに悲劇的に、あるいは喜劇的に脚色した英雄譚はいずれも高い人気を誇っている。勿論、彼の行為を非難する者もいる。それこそアニス自身が口にしたように、無責任だと叫ぶ者は一人や二人ではない。それでも多くの民は、アニスを英雄と呼び、彼の英雄譚を好んで支持した。いくつもの劇団が軒を連ねるこの場において、英雄譚を上演しない劇団は一つもないのがその証である。
「描かれているのは僕ではなく、英雄の少年という偶像だと頭では理解しているつもりなんだけど、いざ見たり聞いたりすると据わりが悪いというか落ち着かないというか」
アニスはこれまでの旅の中で何度か、トランの英雄を描いた物語に触れる機会があった。自ら進んで見たり聞いたりした訳ではなかったが、見聞きしたそれらはいずれも虚実が入り交じり、自分のことである筈なのに、見知らぬ『英雄』の物語となっていた。そういうものだと理解はしている。人々は、より感動的な方へ、もしくは悲劇的な方へ、物語としての抑揚を求めるものだ。そうして、事実かどうかよりも、英雄の物語としての価値を優先され、アニス・マクドールではなく、『英雄の少年』の物語へと変貌を遂げていった。
完全に民の望む英雄の物語となったのであれば、アニスが齟齬を感じることはなかったかもしれない。だが、アニスという個が垣間見える部分が絶妙に混ぜ込まれているせいで、虚構との間に齟齬が生じて気持ち悪いのだ。
門の紋章戦争当時は、良きにしろ悪きにしろ事実と異なる事を言われても何も気にならなかったというのに、今はこんなにも落ち着かないのだから不思議なものだと、アニスは思っている。
「言うなれば聖人扱いですからね。それは落ち着かないでしょう」
アニスは、自身を英雄ではなく罪人と捉えている節がある。英雄と呼ばれることも本意では無い。グレンシールはそれを知っている。
アニスは解放軍を率いるにあたって、リーダーを演じていた。そうする必要があったからだ。しかしそれは正しく美しいだけの役割ではない。自分の決断で多くの命を奪ったこともまた事実で、争いの中で家族や友人を奪われもしたし、自分の手でも屠ってきた。それは確かに彼を苛み、今も苛み続けている。清廉潔白で公明正大、覚悟を備えた頼れるリーダー様は、既に彼の中にはない。けれど、自身がリーダーとして行ってきたことを忘れることはなく、国の為に必要なことだったと開き直ることも出来ずに、彼は背負い続けている。リーダーであった自分は全て演じていたもので、今の自分とは関係がないと切り離していれば、こうして齟齬を感じることもなかっただろう。
「確かに、いわゆるトランの英雄と貴方の間には乖離する部分も多い。英雄などと言うものは、仰るように偶像です。ですが、世間に浸透しているトランの英雄には、民の願望だけでなく、我々から見た貴方の一面も反映されています。それが齟齬の原因でしょう」
「完全に、見知らぬ英雄さんの物語にしてくれたら良かったのに」
「我々が付き従い、共に戦ったのは、見知らぬ英雄ではなく貴方ですから。貴方は民だけでなく、我々にとっても英雄なんです」
先頭に立って皆を導き、重責を背負わされ苦しみながらも戦い抜いたアニス・マクドールでない英雄になど、価値は無いのだ。そう考えている人間がグレンシール以外にも存在しているからこそ、物語となった英雄にアニスの面影が残っている。
「我々、ね」
「ええ、我々――解放軍として貴方に与した者たちです。もっとも、俺個人としてはまた別ですが」
言葉を切り、じっとアニスの瞳を見つめる。アニスはそれを受け止めると、絡め取るように目を細めて、喉の奥でくくっと笑った。
「別って?」
その挑発するような口調に、グレンシールは分かっておいででしょうと口にすることはしなかった。伝える事は、面倒でも無ければ苦でも無い。むしろ喜びだ。
「英雄かどうかなど一切関係なく、俺は貴方のことを想っています」
「ここが外でなければ口付けていたところだ」
「俺もです」
口付けの代わりに、人目につかぬようこっそりと手を繋ぐ。指を絡めるそれだけで、高揚していく何かがあった。
《サンプル終了》
2015/11/22発行
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