いつか失われるとしても


(ぼっちゃん:アニス・マクドール)

 *

 首都警備隊の長として表立った舞台に出るのは専らアレンの役目であったから、彼は比較的国民に顔を知られている。
 グレンシールはあまり表に立つ事を好まず、露出は必要最低限に抑えていたのでアレンほど知られてはいないが、それでも立場上知られやすい立場にあった。
 トランの英雄であるアニスは言わずもがなだ。もっとも、民の大半が知るのはアニス本人の顔ではなく、城に鎮座している英雄の像の顔である。レパントの威信を賭けて作られた像の出来があまりに良かったものだから、結果的にアニスの顔は広く知れ渡ることとなってしまった。あの像さえなければと、トランに戻ってきてから何度思ったか知れない。内緒で出ていった代償とでも思っておけば、とは大統領子息の言であり、後ろめたさを抱えてもいたアニスは今のところ文句を飲み込んでいる。そもそも三年もの間置かれていたので今更なのだ。
 首都警備隊の長二人は並べば黄色い声が上がり、城下では彼らの小さな似顔絵が人気役者のものと並んで売買されているなんて噂まである。最初にそれを知った時のアニスはさすがだと笑っていたが、後に自分の似顔絵も出回っていると知って遠い目をすることになった。
 そんな三人であったから、公的な立場でいる時は問題なくとも、私的な用事で出掛ける時などはそれなりに困っていた。良くも悪くも人の目があると身動きは取りにくいものだ。
 揃って出掛ける時は殊更気を遣い、アレンは普段セットしている髪を崩して前髪を下ろすようにしていたし、アニスもまた装いを変えたり髪型を変えるようにしていた。出回っている似姿と髪型が違うだけでも印象は変わり、気付かれにくくなる。精々が似ていると言われるぐらいのものである。
 ちなみにグレンシールは髪が短いので、と言って特に変装することはなかった。装飾品などで顔を隠すのはかえって目立ってしまうので、堂々としていた方がいくらかマシということらしい。
 アニスとアレンが二人でいた場合、本人だとバレはしないが兄弟に間違われることが多かった。顔の作りは似ていないのだが、黒髪という共通点もあるからか雰囲気がどことなく似ていると言われる。
 三人揃って買い出しに出ていたこの日もそうだった。
「男前だねえ、あんたたち兄弟かい?」
 店先に立つ中年女性は、商品を受け取るアレンの顔を見て惚れ惚れとしている。前髪を下ろしているので目元は見えにくいが、黒髪の隙間から精悍さは見て取れた。それだけでも彼が男前であることは伝わってくるものだ。
 アレンの横に立って代金の支払いをしているアニスは、問いかけに「似てないでしょう?」と答えるに留める。それをどう受け止めたのか、彼女はあははと笑って励ますように肩を幾度か叩いてきた。痛みはないが勢いは強く、彼女の豪快な人となりが表れているようだ。
「なんだいあんたも男前だよ。うん、英雄様にそっくりじゃないか!」
 アニスがよく言われますとだけ言えば、女性はそうだろうさと頷きつつ、陳列された商品を一つ手に取る。
「本物の英雄様はもう立派な大人だろうからあんたもこれからだよ、これ食べて大きくなりな。おまけさ」
 女性の手から直接おまけを受け取り、ありがとうございますとアニスがにこりと笑えば、彼女はうんうんと満足したように頷いた。
 また来ておくれと手を振る女性に見送られ、少し離れたところからやりとりを見守っていたグレンシールのもとへ二人並んで向かう。
「お待たせグレンシール、そっちはどうだった」
「滞りなく」
 グレンシールが手にしている紙袋を示し、アニスはそれを確認すると後ろに控える"兄"に問う。
「これで全部揃ったかな」
「リストにあるものは全て買えましたね。このまま帰宅しますか」
「そうしよう。クレオも待ちくたびれてる」
 二人は静かに頷くと、アニスを挟んで歩き始めた。その姿は先導するようでもあり、警護するようでもある。兄弟としては適切ではない距離感に見えるだろうが、三人のうちの誰にも血の繋がりはないし、義兄弟でもないので当然だ。
 三人は主従であり――同時に恋仲であった。

 まっすぐマクドール邸に戻り、クレオに買ってきた食材を引き渡せばこの日の任務は完了だ。このあとセイラがやってきて、クレオと共に夕食を作ってくれるらしい。
 この国に戻ってきた日から、セイラは時間のある時に食事を作りに来てくれている。まだ客に出して金を貰える程ではないから練習ついでだ、と本人は言っているが、彼女の気遣いなのは理解していた。現在のマクドール邸には料理の出来る者がいないこともあり、単純にありがたくもあった。
 マリー仕込みの料理は解放軍として過ごしていた頃を思い出す懐かしい味だったが、たまにセイラの大胆さも感じられて、そのギャップが面白かった。
 最近はクレオもマリーに習ったり、今日のようにセイラと一緒に料理をしたりしているようだ。私やパーンだけならどんなものでもいいんですけど、ぼっちゃんにはちゃんとしたものを食べて欲しいですからねと彼女は言う。同時に、美味しく出来ると結構嬉しいものですよと笑ってもいたので、実益を兼ねた趣味になりつつあるのかもしれない。
 食べる専門の男性陣は厨房から追い出され、クレオから声がかかるまでは待機だ。アニスは元より、今夜はお呼ばれのためアレンとグレンシールも配膳などの手伝いすら許されなかった。
「本当にいいんでしょうか」
 三人で部屋に籠もって腰を落ち着けた頃、アレンは広間の方を気にしてそう言った。
 アニスは自身の腹に回されている彼の腕を軽く撫で、いいんじゃないかなと返す。
「今回はそれも含めてクレオたちの楽しみなんだ。付き合ってくれないか」
「それはもちろん」
 腕を撫でていた手がアレンの手で覆われる。指の間に彼の指が割り入れられ、上から完全に固定された。彼の手は暖炉の火のように温かで心地よい。
 三人は今、ベッドの上に並んで腰掛けていた。ただし、アニスはアレンの足の間に挟まれているので完全な横並びではない。幼い子どものように後ろから抱えられていることに多少の気恥ずかしさはあるが、密着することはアニスとて嫌いではなかった。背中に体温があることも、足で挟まれて身動きが取りにくいことも不思議と安心する。
 アニスが掴まれている指に力を入れ、彼の指を挟むように遊んでいれば、後ろから抱きすくめられた。アレンの吐息が耳元に落ちてくすぐったい。彼の腕の中で笑いながらアニスは僅かに身をよじる。
「くすぐったいよ」
「誘ったのはアニス殿でしょう」
「ただの手すさびだろうに」
 顎を上げ、アニスはアレンに頬を寄せて擦り合わせる。頬同士で触れ合わせたあと、唇の端で口づけるかのように彼の頬を撫でた。アレンの体が強張っているのを感じながら口づけるギリギリで離れ、にやりと笑って見せる。
「誘うというならせめてこれぐらいはしないと」
 そこで、ギッとベッドが鳴いた。隣に座っていたグレンシールが立ち上がった音だ。彼はアニスの前に移動してその場で跪くと、じっと黙って顔を見上げてくる。触れてもいいかのお伺いだった。アニスは目を細めて笑った。
「おいで」
 自由になっている左手を伸ばして、指先でグレンシールの頬に触れる。擦りつけるように差し出される頬の感触は、アレンよりも少し乾燥していた。そのせいだろうか、アニスの中でグレンシールに対して違和感が湧き上がってくる。何かが気になるが、その何かが分からない。
「ちゃんと眠れてる?」
「問題ありません」
 誤魔化している訳ではないだろう。目の下に隈はなく、肌の血色も悪くはない。瞳は充血も濁りもしておらず、形の整った薄い唇も色艶は良い。彼はいたって美しく健康だ。では一体彼の何に対して引っかかりを覚えているのだろうと観察していれば、後ろからアレンの呆れた声がする。
「何が不満なんだグレンシール」
「…………」
 言われてみれば確かにその通りで、彼はどこか不満そうなのだ。さすがにアレンは彼の機微に聡い。しかし理由に思い至れないのはアレンも同じようだ。彼の目の前でアレンとベタベタしていたせいかとも思ったが、それは今更に過ぎる。
「グレンシール」
 アニスは彼の唇に指先を這わせながら、促すようにその名を呼んだ。柔らかで少し湿った感触が心地よい。その唇が僅かに震え、彼がしゃべり出そうとしていることを悟る。
「今日に限らず、二人が兄弟に間違われることは多いでしょう。私はそれを羨ましいと思っています」
 それはあまりに意外な発言だった。どこに羨ましさを感じているのかも分からない。グレンシールの真意が分からず、アニスは質問を重ねた。
「兄弟に間違われたいのか? 僕と? それともアレンと? 僕らが兄弟に間違われるのだって髪色が同じというだけで、髪質も違えば顔も似ていないのに?」
「雰囲気が似ていると言われることもあるでしょう」
「確かにあるが、グレンシールもそう思うのか?」
「いえ、全く」
 けろりとした表情で彼は言う。それは本当に全く微塵も思っていない顔だった。これぐらいはアニスにも読み取れる。だから余計に分からなかった。
「要領を得ない」
「そうでしょうね」
 困惑しているアニスを見て、グレンシールは穏やかに笑う。
「周りから兄弟だと思われたい訳でも、兄弟になりたい訳でもありません。……私は、貴方と揃いの物が欲しいんです」
 これもまたアニスにとって意外な発言だった。グレンシールはアニスが知る限り何に対しても強い執着を見せるタイプではない。とりわけ物にはその傾向が強く、共同生活が基本で遠征に行くことも多かった帝国軍時代や、物を持つ余裕のなかった解放軍時代ならばともかく、今の生活になっても彼の部屋に物が増えることは殆どない。アレンはグレンシールの部屋を訪れる度に引っ越すのかと思う程だという。彼が大事にしているものといえば、愛剣と愛馬ぐらいのものだ。
 そんな、常に身辺整理をしているかのような男が、こうして何かに執着を見せるのは良い傾向なのかもしれない。そして、それが自分に関するものであることが嬉しくも苦しいとアニスは思う。
「……なんでもいいのかな。あまり大きな物は僕も持てないから、日用品とか、嗜好品とか」
「よろしいのですか」
「いいよ。欲しいんだろう、お揃い」
 言えば、グレンシールは薄く笑みを浮かべる。頬の緩みが指先から伝わってくるようで愛おしい。
 そこでアニスの腹に僅かな圧が掛かる。アレンの腕に力がこもったのだが、無意識のことなのだろうか彼は何も言わなかった。仲間外れにするはずがないと分かっているだろうに、それでも小さく不安を抱いてしまったのだろう。だからアニスは安心させるように言葉にする。
「三人で揃えるには何がいいか考えようか」
 二人分のはいという返事が、アニスの鼓膜を震わせた。

 と、ここまでは良かったのだが、そこから先はああでもないこうでもないと終わりの見えない議論が続いている。
 お揃いと一口に言っても、三人が共通して持てるものとなるとなかなかに難しい。日常的に使うのか、それとも飾るのか、大事にしまっておくのか。使うのだとすればどういう場面で使うものにするのか。いくつもの候補を挙げては利点と欠点を並べ、そのまま却下されていく。
「身につけるものなどはいかがですか」
 跪いたままグレンシールは言った。もういくつ目かも分からない候補は、随分と括りが大雑把だ。
 身につけるもの……武器、防具、紋章、衣類、アクセサリー。アニスは頭の中でより詳細な候補を挙げていく。
 武器はアニスと二人では種類が共通しておらず、装飾を施すこともしていないので難しいだろう。衣類をお揃いとして取り入れるには難しく、何より気恥ずかしい。そうなると小物、アクセサリーとなるだろうか。しかしアクセサリーは防具としての装備であり、ただの装飾品として身につける習慣はアニスにはない。
「僕は装飾品はつけないし、二人もつけないだろう?」
「以前、イヤリングはされていませんでしたか」
「あれはオデッサさんの形見というか、解放軍リーダーの証だから僕個人のものではないし、つけたのも解放軍リーダーである必要があった時だけだよ」
 大半は戦の時で、あとはリーダーとしてどこかしらへ赴く時だけだ。イヤリングをつけるのは精神を切り替える儀式のようなもので、オデッサが見ていると思えば臆することなく解放軍リーダーとして振る舞えた。
 そのイヤリングも国を出る時にマッシュのところへ置いてきたので、既にアニスの手からは離れている。その後どうなったのかは分からないが、マッシュの墓に埋葬されていればいいとアニスは思っている。遺体も魂もそこにはないとしても、オデッサがマッシュと共に弔われていると思いたいのだ。
「お似合いでしたよ」
 そう言いながらグレンシールは腕を持ち上げ、アニスの耳たぶを挟むように触れる。アニスは首を少しだけ竦めてしまった。優しい刺激はゾクゾクと背中にまで走る。
「おい、触り方がいやらしいぞ」
 アレンの叱咤が飛ぶが、グレンシールは気にした様子もない。むしろどこかご機嫌だ。
「では、他のものを考えましょう。イヤリングは我々には不向きですしね」
 彼の指先が耳たぶから離れていく。その去り際、指先は首筋も撫でていった。その動きに、は、と息が漏れてしまう。アレンの言う通り触り方がどこかいやらしい。煽るような動きだった。思わず首を押さえて、アニスは言った。
「いたずらっ子め。いっそ首輪でも贈ろうか」
 首輪はコボルトたちがつけることはあるが、他の種族がつけることはない。首に毛がないので不向きなのもあるが、服従や所有の証としての印象があまりに強いせいだ。
 強めの冗談のつもりで言ったが、グレンシールを見れば彼はその美しい顔でにこっと笑う。いっそ嬉しそうにすら見える笑顔に空恐ろしさを覚え、アニスは彼に問うた。
「……僕に飼われたいのか?」
 笑みを浮かべるだけで彼は何も言わない。それでも、怒っていないことも不快に思っていないことも、これでもかと言うほど伝わってきた。いつになく雄弁な表情は、アニスの発言が冗談だと分かっているだろうに、冗談であることを否定している。
「グレンシール、アニス殿を困らせるな」
「そんなつもりはない」
 アレンに窘められはしたが、グレンシールにしてみれば実際困らせるつもりはないのだろうし、悪気もない。彼はアニスの冗談に本気で乗っただけなのだから、悪いのはアニスの方だ。ごめんと謝ろうとすると、それを制するかのようにアレンが些か大仰な声を上げる。
「アニス殿、指輪ならいかがです。首輪は論外ですが、指輪も似たようなものでしょう。輪なんだし」
「似たようなものだろうか?」
「違うでしょう。ですが案としてはいいかと。アニス殿は」
 グレンシールに問われ、アニスは頷いた。
「二人が欲しいというなら構わないよ。ただ、棍を握るのに邪魔だろうから、普段からつけることは出来ないと思う。それでもいいかな」
「構いませんが、鎖で首から提げるのはどうですか。それなら服で隠れますし、邪魔にもならないでしょう。我らもそうすれば常に身につけておけますし、グレンシールのファンが指輪を見て卒倒することもない」
 確かに、彼らのファンが指輪を嵌めている彼らを見たら卒倒するかもしれない。特にグレンシールのファンには、本人のクールさと反比例するかのように熱い人が多いのだ。彼女らには申し訳ないが、アニスはその様子を想像して少し笑った。聞こえもしない悲鳴が聞こえてくるかのようだ。
 目ざとい人ならば、二人の指輪が同じであることにもきっと気付く。その場合、疑惑の目を向けられるのはアレンになるので、彼としてはそれも避けたいところだろう。
「わかった、そうしよう。どんなものがいいかな」
「貴方の瞳の色と同じ石がいいですね」
 アニスが尋ねれば、アレンは随分とロマンチックなことを言った。
「石があると邪魔だろう。装飾にもよるが首から提げるなら肌に傷も付きかねない」
 一方でグレンシールは現実的だ。実際、石があるなら出っ張りもするし、当然固定するための爪もある。地肌の上に直接ぶら下げるつもりはないが、中で服の繊維が引っかかるなどの問題が起きるのも困るので、グレンシールの言うことは一理あるように思えた。
「だが、石があった方が価値は上がるだろう? ベースの素材もいざという時のために換金率のいいものを選びたいところだが、やはり金が安定か」
 などと、続けてアレンもロマンチックからはほど遠い話を始める。なぜ売却することを前提に考えているのか。一番ロマンチストなのは僕なのだろうかと、アニスは頭を抱えたくなった。そもそもお揃いで持ちたいと言われたものを売るという発想がなかったので、困惑するばかりである。
「売らないよ……。二人だって売らないだろう?」
「当然売りませんが、貴方の場合は旅にも出ますし何かあった時の保険はあって然るべきです」
「もし旅先で売ったとしても、戻ってきて頂ければまたいくらでも贈れます」
 つまりは自分たちのところに帰ってこいという要望なのだろう。
 それは理解した。したが、やはり。
「そういう問題じゃないだろう」
 そう言わざるを得ない。アニスの言葉に、二人は嬉しそうに笑った。
 そうこうしているうちに、クレオの声が部屋の外から聞こえてくる。晩餐の準備が整ったようだ。
 三人は話を打ち切って立ち上がり、部屋を出る。
 揃いの指輪を誂えるまでには、まだまだ話し合いが必要そうだ。


《いつか失われるとしても -end-》
2024.05.24(星の祝祭Ⅳ初出)




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