彼等のバレンタイン



「で、なんで俺がこんなとこにいなきゃなんねぇんだよ」
 ギロリと隣に立つでかい男を睨み付けるが、睨まれた本人はどこ吹く風で気にした様子は微塵もない。
「今日の俺は忙しい。いつもみてーに、大将たちにだけ構ってらんねぇの。そこでお前の出番ってわけだ」
「ユースの世話とかそういうのはいいんだよ。なんで、俺が、二月十四日に、カフェテリアで、女子に混じって、チョコを、作らないといけないんだって聞いてるんだよ」
 ルカから少し離れたカフェテリアの一角では、女子達がチョコレート作りに励んでいる。
 制服の上からエプロンをかけ、あーでもないこーでもないと友人同士でワイワイと作っている集団もあれば、周りが見えない程真剣にチョコに向かっている女子もいる。バレンタインにかける思いの違いなのかは、ルカには分からない。
 ルカはそもそも作ったり渡したりする側ではない。もらう側だ。もらえれば、の話だが。
「どうせお前チョコもらえねーだろ?ついでだと思って作ってけよ」
「もらえないって決めつけるな!」
 放課後になった今も、一つとして手元にチョコはないけれど。確かにないけれど。
 いや、メイからお零れとしてもらったものが一つだけある。メイは朝から逆チョコと友チョコだよと笑いながらほぼ無差別に配り歩いていた。でも男からのチョコなんて、今日この日にはチョコとしてカウントしていいものではない。扱いとしては母親からのチョコと同じだ。
 それを知っているのか、いつもはガンガン突っ込んでくるフォルもそれ以上は突っ込んでこなかった。フォルには珍しい優しさがつらい。
「あーほれ、大将も、あとミンミもチョコ欲しいみたいだしな」
「そりゃチョコが食べたいだけだろ」
「そうとも言う。だけどなあ、アイツらはへたすると材料そのまま食っちまうからな。お前が見張りながら、出来上がりをやれば完璧だろ」
「フォルは女子に手取り足取り教えて、俺はユースとミンミのお守りかよ」
「そういうこった。参加費は奢ってやるから、よろしく頼んだ」
「参加費取ってんの!?」
「材料費だよ材料費。材料費だけで俺様の考案した男を落とすトリュフが伝授してもらえんだぞ? お得すぎて怖いぐらいだろ」
「男を落とすトリュフ……」
「バカみてぇに繰り返すなよ、照れる」
 バカはそっちだろうと思ったが、それを口にするのも疲れる。フォルには元気とか精気とか一緒にいるだけで吸われている気がしてならない。夜徒の中でも特別なんじゃないだろうか、こいつは。
「フォルさーん!」
 遠くからフォルを呼ぶ女子の声が聞こえた。悲鳴にも近いそれは、多分チョコに芳しくない事が起こった事を表している。
「おっと、呼ばれた。それじゃあな」
「あ、おい! 誰もやるなんて言ってねぇぞ!」
 ふんふーんと鼻歌交じりで女子の群れの方へ向かってしまったフォルに怒鳴るが、フォルが足を止めることはなかった。
 取り残されたルカがはぁとため息はつけば、くいっとブレザーの裾を引っ張られる。
「ルカ、チョコが食いたい」
「いっぱい食いたいぞ」
「……ミンミ」
「ルカが作ってくれると言っていた」
「ずっと待ってたんだ。早く食いたい」
 見上げてくる無垢な視線がズキズキと痛い。ここで作らないで部屋に帰れるほど、ルカは非情な男ではなかった。
 バレンタインデーに女子に混じってチョコ作りなどしたくもない。したくもないが、仕方ない。ルカは覚悟を決めた。
「分かったから、お前らおとなしくしてろよ」
「じゃああっちで寝てる」
「出来たら起こせ。絶対だからな」
 ぱたぱたと走り去ったミンミ達は、人の居ない方で丸くなった。出来上がるまで本当にそこで眠っているのだろうか。いつもは食に対して我慢というものを知らないのに、今日はやけに素直だ。
「……ルカ、これをどうするんだ」
 ミンミがおとなしい理由は多分、ルカの隣で真剣な顔をしてチョコのブロックを握っているユースのせいだろう。
 多分、傍に居たくないのだ。
 ケンカを始めなかっただけ、ミンミ達もずいぶんと成長したのかもしれない。
「っていうかお前、やる気満々だな」
「そうか?」
「そうだよ。エプロンと三角巾なんかしてるユースが見られるとは思ってなかった」
 しかもフリルのついたエプロンとは。フォルは絶対に面白がって着せたに違いない。ユースも断ればいいものを、そうしなかったのは面倒だったのかどうでもいいのか、もしくはこれを着ないとチョコは作れないとでも吹き込まれたのか。何にせよ本人はそう気にしていないようなので、ルカも気にしない事にする。
 多分今のユースは、チョコの方にばかり意識がいっているに違いない。
「これは借りた。出世払いだそうだ」
「夜徒の王様みたいなもんなのに、それ以上出世すんの?」
「さあ」
 軽口もそこそこに、フォルが置いていったレシピとにらめっこを始める。
 ユースに任せるのは危険と判断しての事だが、目を離したのが間違いだった。
「えーっとまずは、そのチョコを細かく刻んで……ってユース!」
「ろうひた」
「どうしたじゃねぇよ! 材料つまみ食いすんな!」
「……味見だ」
「……ああ、そう」
 食欲の権化と戦いながら、予想以上にハードなことになりそうな男を落とすトリュフ作りが幕を開けた。



「出来た!」
「……ああ、出来た」
 ドタバタとし続けたトリュフ作りがどうにか終わったときには、女子の塊は大分減っていて、カフェテリアは閑散としていた。
 荒れたテーブルの上には、ソフトボールぐらいありそうなトリュフが二つと、通常サイズのトリュフが二十個以上。
 ソフトボール大のは、勿論ユースが作ったものだ。食べにくそうなそれを、普段にはまず見られないキラキラした瞳で見つめているユースに、ルカは思わず吹き出してしまった。うっとりと言うのは、こういう時に使うのが正しいに違いない。
「よう、出来たか」
 女子達の大分去ってしまった一角で後片付けをしていたフォルが、ひょっこり顔を出す。
 最初は巻き込んでくれた事を殴りたくもなったが、ユースがこれだけ嬉しそうなら結果オーライということで許してやることにした。
 疲れたけど、とにかく疲れたけれど、楽しくなかったかと言えばそれは嘘になってしまう。もう当分お菓子作りはご免被るけれど。
「どうにかな。見た目は良くないけど、出来たことは出来た」
「どれどれ」
 と言いながら、止める間もなくフォルはトリュフを一つ口に運ぶ。勿論、ルカの作った通常サイズの方だ。ソフトボールトリュフは、ユースがしっかりと確保していて離さない。もっとも、フォルもそちらに手を伸ばすつもりは毛頭無いようだったが。
 もぐもぐと咀嚼し、口内で丁寧に味を確かめているフォルの表情からは、うまくいったのかいっていないかの判断が出来ない。
 レシピに書いてあるとおりにやったつもりだが、ダメだっただろうか。ごくんと喉が動いて飲み込むと、フォルは顎に手をやった。
「んー、及第点ってとこだな。これじゃあ誰でも落とせるってわけにゃいかないが、少なくとも大将とミンミは落とせるだろ」
「そのために作ったんだから十分だ」
 ホッと息をついて、ミンミを起こしてやろうと思った時だ。手元を見ると、トリュフが減っている事に気付いた。
 ユースは自分の分を食い始めていて(やはり激しく食いづらそうだが、本人は満足げだ)、フォルの口はもう動いていない。
 勢いよく振り返れば、そこには二つの小さな頭。
「まぁまぁだな」
「そうか? うまいぞ」
 いつの間に起きていたのか、そして後ろに回った挙げ句、こっそりとトリュフを持っていったのか。
 ルカは全く気がつかなかった。
「お前ら、起きたなら声かけろよ」
「おはよう、ルカ」
「これうまいな。もっと食おう」
 口の周りをココアパウダーで汚しながら、子供達は次のトリュフへと手を伸ばす。
 もともと彼らのために作ったものだ、食べる事は構わない。
 だが、忘れてはならない事はある。それは人と生きていく上で、大切なことだ。
「お前ら、俺に言うことあるだろ?」
「ありがとう、ルカ」
「ごちそうさま、ルカ」
「よろしい」
 幾度となく彼らに伝えてきた、挨拶やお礼を言うこと。最近ではだいぶ板についてきたが、こういう時にさっと出ないようではまだまだだ。
 けれど素直な彼らは、促せば思い出すことが出来る。ならば、習慣になるようにこれからも続けていけばいい。時間はいくらだってある。
 夢中になってトリュフを頬張るミンミを眺めながら、ルカは微笑ましい気持ちになった。
 ユースにしろミンミにしろ、何かを食べている時の彼らは本当に幸せそうなのだ。
「さ、片付けるか」
 黙々と食べ続けるユースとミンミを余所に、ルカは荒れたテーブルに手をつける。
「良い心がけじゃねぇか。そうだ、片付けまでが料理だからな、ルカちゃんにしては上出来だ」
 フォルは満足そうに笑うと、自分もまた片付けへと戻っていった。
 多分、片付けが終わるよりも早く、ルカの作ったトリュフは姿を消すことになりそうだ。



「さて……」
 カフェテリアを後にしたルカの手元には、たった一つ残った手作りトリュフ。小さいビニールの袋に入れられているそれは、ラッピングと呼ぶには質素すぎたが、このぐらいでちょうどいい。
 最後の一つを争っていたミンミ達だったが、フォルの「お前ら一個ぐらいこいつに食わせてやれよ」という珍しく良心的な発言により、不満そうではあったものの彼らはルカにトリュフを手渡した。その後ミンミ達は女子の群れが作っていたお零れをあずかることになったらしい。フォルの後ろをちょろちょろしていた。よく食べるのはいいが、あれだけ甘いものばかりで病気にならないのだろうか。それはユースにも言えることだが、そんなユースもいつの間にかフォルの周りにいる。あのソフトボール大のトリュフを早々に食い終わってしまい、さらにはおかわりを要求するとは、ユース恐るべし。
 自分で作ったのに、危うく一つも食べられなくなるところだったルカとはえらい違いだ。
 すぐに食べてしまっても良かったのだが、何となく食べられずにルカは校舎内の廊下を歩いている。
 ……向かう先には医務室しかない。
 別に、ジェシー先生にあげたいわけじゃないと何度も心の中で思い続けている。
 それは自分でもわかるぐらい言い訳じみていて、じゃあなんで医務室に向かっているかと尋ねられたらぐうの音も出ない。
 でもあげたいわけじゃない。お裾分けをするぐらいの気持ちだ。そう、お裾分けだ。そうルカは納得する。
 あくまでこれはユースとミンミのために作ったものであって、ジェシーのために作ったわけではないのだからと言い聞かせる。
 本人にもそう言えばいいのだ。別に、彼のためにチョコを用意したのではないということさえはっきりしていれば、きっと問題はない。
 ただのおやつ。たまたま今日が二月十四日で、たまたまトリュフだっただけのこと。
 特別な意味なんてない。ユースにしろミンミにしろ、彼らがバレンタインをどういうイベントであるのか理解しているとは思えない。目の前にチョコがあるから食べるだけの事でしかないはずだ。
 だからこの一粒だけのトリュフにも、意味なんてない。
 そう言い聞かせながらも、なぜか緊張してしまう。ドアをノックする手には明らかな迷い。
 それでもルカは、ドアを叩く。
「どうぞ」
 ルカはいつも通りのその声に導かれるように、医務室へと足を踏み入れた。


《彼等のバレンタイン -end-》
2011/02/16





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