その時彼は



 真っ暗な医務室でジェシーは一人、窓際に立っていた。
 怯えていたルカを思い出し、くつくつと笑う。
 抱えた腕の中で、少し震えていたのをジェシーは知っている。
 きっと、まだ闇が怖いのだろう。
 今ジェシー以外にルカに手を出せる夜徒はいないと頭では分かっていても、心に深く刻み込まれた恐怖はルカをまだ解放してはいないのだ。そしてこれからも、恐怖はルカを解放することはなく、ずっと共にあるかもしれない。人は本能で闇を恐れる生き物なのだから。
 しかしルカのことだ、もしかしたら今頃は一人で怒っているかもしれない。感情がころころと変わる彼のこと、あり得なくはない。
 怒りに支配されている間は恐怖など感じないだろうから、自室まで怯えることなく帰ることが出来るだろう。
 噂なんかに振り回されて、馬鹿な子だと思う。
 胃を痛めるほど思い詰めるような事柄ではない。
 誰がルカの耳に入れたのかは知らないが、この収束し始めた時期で良かったのだろう。もう少し早い時期であったなら、自分に向けられる好奇の目に耐えられなかったかもしれない。ジェシーですら鬱陶しいと感じていたのだ。
 そもそも噂の内容が稚拙すぎる。
 そしてそれを面白がって吹聴する連中もだ。
 人間の、それも男子生徒と付き合っているだなんてくだらない噂を、よくも思いついたものだと思った。
 ルカに興味はある。観察もしている。観察のため、なるべく近くにもいる。
 だからといって、ルカをそんな対象として意識した事はない。
 夜徒にとって、人間は糧だ。狩られる者であって、恋愛の対象ではない。飢餓を感じないといっても、それは変わらない。そもそも恋愛感情というものを持っていない。夜徒には必要のないもので、多分夜に近い夜徒ほどそういった感情は希薄であろう。
 だからこれは、純粋な興味。
 それ以外には何もない。
 去り際に撫でた形の良いルカの頭の感触を思い出しながら、己の掌を見つめる。食欲ではないが、自分もまたこうしてルカを狙っている。そして、今ならばルカの頭を開くことだって出来る。けれどそれは、今でなくて良い。いつでも出来るのだからこそ、そう、気の済むまで観察をしてからでいいのだ。だから今は。
「ゆっくり休みなさい」
 そうして、明日の朝にはまた、共に朝食を。
 不機嫌を隠そうともせず、それでも隣に座ってくるルカを想像して、ジェシーは笑った。


《その時彼は -end-》
2011.02.07





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