温度伝播



「ねえー、もういい加減終わろうよー」
 メイの情けない声が俺とアクセルに向けて投げかけられる。
「いい加減寒いんだよね」
 両手で自分を抱き込んで、耳を真っ赤にしたメイは演技でなく本当に寒いようだった。
 いつもは校舎や寮の中から見ているだけのメイがここまで雪合戦に付き合ったのだ。
 そろそろ解放してやらなくてはならないだろう。
「本当、よく飽きないもんだね」
 なんだかんだで付き合っていたネクトもそんな事を言うが、体は少々前屈みでぐったりとしている。
 頭脳派が珍しく体を張った結果だ。
 そして肉体派代表のような顔をしたアクセルはまだ遊び足りないとでも言うように雪玉を握っていた。
 それをネクトに叩き落とされて、不満そうな顔をしたが少しは疲れていたのだろう。
 ちえーとぼやくに止まった。
「仕方ねえ。今日はこのぐらいにしといてやるか」
「うんうん、それでいいから早く中に戻ろうよ」
 急かすメイに押されるように、ぞろぞろと歩き出す。散々踏み荒らした雪の上は、それでもギュッギュッと気持ちのいい音を立てている。
「そういえばさ」
 アクセルは歩きながら校舎の方へ視線を向けた。つられるように顔を上げるが、視線の先には寒々とした廊下が続いているだけで、人一人いない。
「なんだよ」
「さっき校舎からジェシー先生がこっち見てたぜ」
 小さくドキッと心臓が跳ねるのを、何事もないように押し殺す。
「……へえー。よく気付いたな」
「ルカは校舎を背にしてて、アクセルはそんなルカめがけて雪玉を投げていたんだから、気付いても当たり前の範疇だね」
 ネクトが何でもない事のように言えば、アクセルは不満げに唇を尖らせた。
「お前ねーもうちょっと言い方ないのかよ」
「ネクトの言うとおりだけどな」
 俺が続ければ、アクセルは更に不満顔だが愉快なのでそのままにしておく。
「ジェシー先生っていえば、最近少しだけだけどとっつきやすくなったって、この前誰かが話してたのを聞いたよ」
 びしょ濡れになってしまった手袋を外しながら、メイはどこか穏やかな表情をたたえ会話に参加してきた。
「ああ、それは確かに感じるね」
「そうかあ? 相変わらず嫌みったらしいと思うけどな」
「前に比べればって事じゃない?」
「そうだね。元々言う事は正論だったし、嫌みったらしいのは変わらないけど、それでも前よりは言葉に刺がない気はするよ」
「俺には全然わかんねーや」
「僕だってそう思ったのは最近の事だよ。……降夜祭の後から、かな」
 ネクトの言葉にまた少し心臓が跳ねる。それを知っているのかいないのか、事情を知る二人の顔を見る事が俺には出来ない。
「…………」
「ん? どうしたルカ?」
 事情を知らないアクセルだけが脳天気に問いかけてくる。そして俺は、こいつのこういう態度に少なからず救われている。
 あの降夜祭の日からこっち、それは幾度となく訪れた経験だ。
「何でもねーよ。腹減っただけ」
「よっし、カフェテリアに何かねえか見に行こうぜ」
「僕は甘い物が食べたいなー」
「ルカは?」
 ネクトのメガネ越しに寄越される視線は労りに満ちている。降夜祭近辺から、ネクトは俺によくこの視線を向けてきた。
 その度に、ネクトは人が良いと思う。お前が気にすることじゃないと言った事もあったが、本人としてはそうもいかないらしい。メイぐらい堂々と出来れば、こいつも楽だろうに。そのメイも、心中ではどうなのか俺にはわからないけれど。
 いつか、こいつらの罪悪感が拭われればいいと思っている。
 何て言ったって、俺はこうして今も生きているのだから。
 そこで、思考の端にちらりと影が横切った。あったかいカフェテリアでのおやつは、少しお預けだ。誠に惜しい事だけれど。
「……俺ちょっと抜けるわ。後で追っかけるから、何かいいもんあったら確保しとけよな」
「まっかせといてよ!」
「アクセルがいるからね、保証はしかねるけど」
「俺を悪食みたいに言うな! でもまああんまり遅いと何も残らないぜ」
「オッケー」
 三人に手を振り、反対方向へと足を向ける。バタバタと足音を立てて、廊下を走る。
 背中の方から少し聞き取りにくいものの、三人の会話が小さく耳に届く。
「おっし! ルカが戻ってくる前に食い尽くしてやる」
「任せておいてって言った僕の立場はー?」
「遅いあいつが悪いだろ!」
「何ならメイの分をルカに取っておけばいいんじゃないか」
「それとこれとは別の話だよ!」
 三人の笑い声がカフェテリアへ向かっていくのを感じる。
 俺の分が少しでも残っていますようにと、祈らずにはいられない。
 しかしこっちの道に来る事を選択したのは俺だし、頼んだ相手が相手だけに期待は出来ないのかもしれない。
 その時はフォルに何か作ってもらおう。
 気持ちを切り替え、冷たい廊下をまっすぐに走った。



 辿り着いた医務室の扉をノックする。程なくどうぞの声が、中から聞こえてきた。
 医務室の中はストーブで暖められ冷え切った廊下とは別の世界のようだった。
 ストーブの上でしゅんしゅんとやかんが湯気を吐き出している。
「先生」
「何か用」
「用がなくちゃ来ちゃいけないのかよ」
「あんた、ここをどこだと思ってんの」
「医務室」
「分かってるなら大怪我の一つでもしてから出直してきなさい」
「大怪我ならまっすぐ病院行きだって。何となく先生の顔が見たくなっただけだって言ったら、追い出される?」
「…………」
 眉間に皺を寄せ、ぎしっと音を立てて先生がイスから立ち上がる。
 長い足で机の前から俺の目の前までやってきて、止まった。
 薄暗い廊下に差し込んでいた明るく暖かい医務室の空気が先生の体分遮断される。
「寒いんだからさっさと入ってちょうだい」
 肩をぐっと掴まれ、中へと押し込まれる。先生が空いている方の手で扉をしめると、冷たい空気はもう入ってこなくなった。
 暖められた空気が体中にまとわりつく。息が苦しく感じるのは部屋の温度のせいだろうか。
 色んな薬品と消毒薬の臭いまで暖められていて、医務室を一層おかしな空間にさせている。
「それで、あんたは何がお望みなのかしら」
 見下ろしたまま、先生が言う。言葉にある感情は面倒くさそうなそれだけだが、相手をしてくれる気にはなったらしい。
「さっき見てたろ」
「何のこと」
「俺達が外で遊んでたの、中から見てたろ。俺は直接見てないけど、先生の視線を感じた」
「通りかかっただけよ」
 うなじに冷え切った手を当てる。自分で竦んでしまいそうになるほど冷たいが、暑いくらいの医務室の中では程よい気もした。
 ついさっき、アクセル達の前では気付いてなかったかの様に言ったが、本当は気付いていた。
 あの時この場所に、うなじに、チリチリと焼けるような感覚を覚えたからだ。
 かつて見ていたトカゲと似ていてまるで違うこれは、俺と先生の契約の証。
 先生が近付いた時や俺を見ている時に現れる症状。
 そして同時に、少しだけ先生の気持ちも流れ込んでくるような気がしてる。
 俺の気のせいだろうとは思う。契約してるからってそんな事まで分かるとは思ってない。
 現に、ユースと契約状態だった時にとかげから気持ちを感じ取れた事はない。多分。
 だからこれは、俺の思いこみで、先生は実際そんな事を思ったり感じたりはしてないはずだ。
 それでも気になるから、こうしてここに立っている。おやつを諦めてまでこっちに走ってきた。
 気のせいでも気のせいじゃなくても、俺はここに居なければならないと、あの時のちりちりした視線が俺にそう思わせた。
「あの時、なんか、先生が寒がってるような気がしたんだよな」
「はあ?」
 心底バカにしたようなこのはあ?は流石にイラッとくるものがあるが、俺が同じような立場だったらきっと同じような反応をするはずだ。だからつい、言い訳なんかを足してしまう。
「……多分、俺の気のせいだけど」
「ふーん。……で、あんたは気のせいだと思っていながら、わざわざ温めにきてくれたのかしら」
 こっくりと頷けば、先生はニヤリと笑った。
「それなら、そうしてもらおうかしらね。知ってた?私、寒いの苦手なのよ」
「あー、だからこここんなに暑いんだな」
「別に暑くはないわよ。あんたさっきまで外ではしゃいでいたからそう感じるんじゃない」
 先生に肩を抱かれたまま、ベッドの方へと導かれる。
 真っ白なシーツはよれの一つもなくピンと張っていた。
「さっき外を見た時、いつからここは幼稚園になったのかと思ったわ」
「悪かったな! 雪で遊ぶぐらいいいだろ」
「悪いなんて言ってないじゃない。あんたはいつも子供だけど、ああいう風に遊んでいる時は更に子供で、随分……」
「随分?」
 ベッドに腰掛けた先生と手を触れ合わせたまま立っている俺を、先生はすっと引き寄せる。
 肩を押さえるようにして俺を抱き締めると、耳元に唇を寄せてきた。
「温かそうに見えたわ」
 夜徒だからだろうか。
 暑いと言っても過言ではないような部屋にいるくせに、抱き締めてくる先生の体は随分と冷えているような気がした。
 外にいた俺の方が冷たいはずなのに、触れている場所からじんわりと冷たさが伝わってくる。
「つめてえ」
「だから、温めにきたんでしょう。言った事はしっかりやってもらうわよ」
「うん」
 目を閉じて、先生の背中に手を回す。
 やはり、じんわりと冷たい。
 これだけ冷たけりゃ寒いのも当たり前だ。
 こんなにも暖かい部屋にいるというのに、夜徒ってのも難儀なもんだな。
 回す腕に力を込めて、自分の熱を分け与える。
「やっぱり、子供は体温が高いんだわ」
 耳元で落とされた言葉には、ほんのりと温度が乗っていた。


《温度伝播 -end-》
1111/11/11





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