あたたかな闇



「くっ……」
 舐めていたわけではない。
 油断をしていたわけではない。
 相手が救いようのない愚か者共だとしても、負ける気はなかった。
 勿論、無傷でいられるとも思っていなかった。
 闇黒に満ちた四柱二人との戦いは、自分の予想を超えていた。
 己とて闇黒に満ちているはずなのに、この差は何だろうか。
 彼らは“食事”をしていた。そのせいだろうか。
 それとも、夜に忠実であるからだろうか。
 枷の外れかけている自分とは違い、夜の為に動く四柱の彼らにはその分闇黒が他の夜徒よりも行き渡っているのかもしれない。
 どれも想像でしかないが、百年に一度の夜だと言うのに自分には思っていたほどの闇黒が戻ってきていないことからあながち外れてはいない気もした。
 体に力が入らない。
 体の真ん中にこれだけ大きな穴が開いていれば、それも当然だろう。
 人と見分けがつかなくなってしまった体は、人よりはまだ丈夫ではあるのだろうが、こういう場合には意味がない。
 穴からは止めどなく血液が流れ落ちている。
 足下の水たまりは血を大量に含みながらも、雨の勢いが強いせいですぐに流されていく。
 おかげで出血量の把握がし難いが、把握したところでどうにかなるような状態ではない。
 ああ、これは死ぬ事になりそうね。
 体の穴を無駄と思いながらも手で覆い、心の中でそう呟く。
 一人で行かせたあの子の事が脳裏をちらついて離れない。
 夜は契約を履行することだけでいっぱいだ。
 私がいたところで変わる訳もないけれど、一人で行った彼が夜を説得出来るだろうか。
(……無理ね)
 きっと、呑まれてしまっているだろう。
 衰えていたとしても、夜が夜である事に変わりはない。
 夜に満ちる聖堂の中で、夜に出会う事がどれほどの恐怖であるかなんて考えなくとも判る事だ。
 今頃あの子は絶望しているのだろうか。
 もう、想像することしか出来ない。
「そろそろ終わりにしようぜー。ようやくお前を殺せるのかと思うと、感慨深いもんがあるよなあ」
 下卑た声が耳に届く。ああ、ウンザリするわ。
 最後に聞くのがこんな声だなんて。静かな死を望んだ事なんてなかったけれど、これは相当に面白くない。
 視界が狭くなってきた。そろそろ限界が近い。
 ヒューヒューゼェゼェ鳴っている喉が煩く忌々しい。
(ルカ……)
 せめて傍にいられたら、少しは変わっていたのだろうか。
 あの子が生き延びる道も、あったのだろうか。
「待望のさよならだ、陰険メガネ野郎」
「死ね」
 二人の声がひどく遠くから聞こえる。
 蹌踉けながらも、ありったけの闇黒を自分の周りに広げるが、弱々しいことこの上ない。
 こんなものではガードにすらならないだろうと考えたところで、ドンッと重い音が響く。
 苦痛と表現することすら憚られるような衝撃に襲われながらも、足下からじわりとのぼってくる闇がそれを感じさせなくしている。
 あの闇こそが死なのだろうか。
 ドサリと何かが倒れる音を聞き、自分が倒れたのだと気付くまでに大分時間が掛かった。
 その間に、闇はどんどん自分を包み込んでいく。
 三回目の鐘の音が聞こえる。
 忌々しい声もどこかで聞こえる。
(ルカ……ルカ……)
 朦朧とする意識の中、名前を呼ぶ。
 夜に力が少しずつ戻っていくのを感覚で捉えた。
 ああ、契約は果たされてしまった。
 やはりダメだったのだ。
「……ル、カ」
 運命を変える事は叶わなかったけれど、私を選んで私を信じた愚かなあの子の為に、ほとんど音のない声で、名前を呼んだ。
 そのせいなのかは判らないが、ぼんやりと目の前にルカの気配を感じる。
 ルカは自身を包む闇と同じところにいながら、あの眩しさを失ってはいない。
 その眩しさに憧憬と安堵を覚える。
(…………ん)
 ルカが何かを言っているがうまく聞き取れない。
 最後の力を振り絞って意識をルカへと集中させる。
(先生、ごめん)
 聞き取れたのは、そんな言葉だった。
 ふっと力を抜いて、笑う。
(謝ることなんてないのに、あんたって本当にバカね)
 ルカが笑う気配を感じながら、目を閉じた。
 目を閉じても、目の前に眩しく温かい存在を感じる。
 ひどく心が穏やかだ。
 ああこれなら、悪くはない。



《あたたかな闇 -end-》
2008.08.16





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