SS1
食欲を誘う香りが、放課後の理事長室に充満していた。部屋の主であるメフィストのおやつタイム。少し仕事が立て込んでいたせいで、今日はやや遅めだ。
メフィストが一つ、二つと本日のおやつを頬張っていれば、せっかくのお楽しみタイムにも関わらず、この部屋に向かって足音が迫っている事に気付く。
とりあえず仕事でないことは確実なので、逃げる事も隠れることもしないで、おやつタイムをそのまま続行することにした。
「このタイミングで来るとは、随分と鼻が利くようだ」
いつもの事ながらアポなしで、当たり前のようにドアを開けて入ってきた燐は、鼻をスンと動かした後に目をキラキラ輝かせた。
匂いの元がメフィストにあることは確実で、挨拶もそこそこに燐はメフィストに駆け寄る。
「からあげクンじゃねーか! 一個くれよ」
「お断りです」
「ケチ! 今一個増量やってんだろ」
「ええ確かにやっていますが、それとこれとは話が別です。誰かに分け与えるために一個増量されたのではなく、普段から五個では少ないと思っている私を満足させるための、一個増量なのですから」
だから決して譲ることはないと、メフィストは頑なだ。燐のお小遣いでは一つ210円するからあげクンを買うことは滅多に出来ず、庶民(主にお小遣いの少ない子供)の味方であるゴリゴリくんを買うのが精一杯だった。ゴリゴリくんは良い。安くてうまい。ゴリゴリくんリッチもうまいが、あちらは値段も上がるので敷居が高く、滅多に食べられない高級品扱いだった。ゴリゴリくんに欠点があるとするならば、アイスは満腹中枢を刺激してはくれないことぐらいだろうか。燐はそう思いながら、からあげクンを頬張るメフィストの姿を凝視していた。
からあげクン特有の香りが充満している中で、目の前で美味しそうに食べるのを見せつけられるのは、既に拷問だ。
メフィストの机の上には、レギュラー、レッド、チーズ、そして限定フレーバーの4種類が完備されている。ここはローソンか!
「それ何味だよ」
見覚えのないパッケージを指さして、燐はメフィストに尋ねた。
「今の限定フレーバーもご存知ないとは」
「高くて買えねぇんだからしょうがねーだろ!」
そもそもローソンが近くにないので知りようもない。
「紀州南高梅ですよ。鶏と梅の相性は実にいい。酸味はそれほど強くありませんし、誰でも食べやすい様に調整されていますね」
「その組み合わせは確かにうまいよな。晩飯は鶏に梅挟んで天ぷらにするか。シソも挟んで塩で食うとうまいんだよなー」
「それは良いですね。私もご相伴にあずかりましょう!」
「じゃあからあげクンくれよ」
「お断りです」
それはそれ、これはこれとばかりにバッサリと尚且つあっさりと切り捨てる。折角手に入れたメフィストのおやつを、燐に分けてやる理由はなかった。
「クソー!お前の分なんか作ってやんねぇ!」
「随分とつれない事を言うじゃありませんか」
先ほどとは別の味のからあげクンを爪楊枝に刺して口に入れながら、メフィストは荒ぶっている燐に苦笑交じりにそう言うが、燐としてはそっくりそのままお返ししたい気分だ。
「お前がケチだからだろ。そんだけあるんだし、いいじゃねぇか一個ぐらい」
膨れっ面で言う燐は、このままだと本当にメフィストの分など用意はしないだろう。先ほどの燐の発言により、メフィストの夕食は心のなかで既に決定している。胃は夕食の受け入れ態勢を始めていて、今更変えることは許されなかった。燐の作ったものにこだわらなければ、同じメニューを食すことは出来るだろうが、燐の作った食事はメフィストをも唸らせるほどに美味なので、チャンスを逃すような真似はしたくない。結局メフィストが折れる事となる。
「……仕方ないですね。ミソスープは大盛りにしてくださいよ」
「具はなめこでいいか」
「ああ、いいですね。味噌は赤味噌と信州味噌の合わせだと尚良いのですが」
「なんで家にある味噌の種類知ってんだよ。人ん家の冷蔵庫事情監視してんの」
「そりゃあ後見人ですから」
「してんの!?」
燐にとっては衝撃の事実だ。
「そんな事より食べるのならお早めに。冷めますよ」
「お、あーん」
燐は目を閉じて。口を大きく開ける。
「あーんって貴方ね……」
それでもメフィストは爪楊枝をからあげクンに刺して、燐の口へと運んでやった。ぱくんと口を閉じた燐の表情は、明るいものだ。
「久しぶりに食ったけど、揚げたてじゃねぇかこれ」
「揚げたては味が全然違うでしょう。時間の経ったものもいいですが、今日は揚げたてが食べたい気分でしたから揚げたてにしてもらいました」
「もいっこくれ」
「……何味にしますか」
「やった! レッドくれレッド」
「まったく貴方は。はい、口を開けて」
「ん」
「夕食は奮発してもらわねば」
レッドのパッケージから一つ取り出して差し出せば、そのまま食いついてきた。自分で食べるという選択肢は存在しないらしい。
もぐもぐと口を動かし、中身がなくなった頃に燐は言う。
「舞茸の天ぷらもつけてやろう」
奮発の結果らしい。悪くないとメフィストは小さく頷いた。
「そちらは大根おろしと天つゆで食べたいですね。ああ、あとアレがありましたよね、エリンギと銀杏。あれも揚げてください」
「お前本当に家の冷蔵庫の中身知ってんだな……」
「ウコバクは私の使い魔ですよ。そもそも、朝食夕食の費用はこちらで提供しているのですから、知っていて当然でしょう」
「それもそうか……そうか?」
「そうです。チーズも食べますか」
「食う食う!」
餌付けでころりと疑問を遠くへ追いやってしまう。
3つ目のからあげクンを刺して口に直接与えてやれば、色んな味食うとか贅沢だよなーと燐はご満悦だ。ちょろいとメフィストはほくそ笑む。
夕食の約束も取り付けたので、一個ずつぐらいなら分けてやっても良いという気分にはなっていた。なんと寛大で慈悲深いのだろうと思うが、口には出さない。
「親鳥にでもなった気分ですね」
「お母さんレギュラーもくれよ」
「そこはお父さんでしょう?」
お母さんもといお父さんメフィストは、雛鳥である燐に甲斐甲斐しくも更にもう一つ、からあげクンを口に運んでやる。
燐はそれを当然のように享受し、満足そうに咀嚼をしていた。
結局4種類を1つずつ奪われる結果となったが、全部を奪われることはなく、胸をなで下ろす。メフィストの中では、未だにもんじゃの恨みがトラウマにも近い状態でくすぶり続けていた。食べ物の恨みはそうやすやすと消えることはない。
「うまかった! ごちそうさまでしたっと。メフィストありがとな。晩飯になったら電話してやるから出ろよ」
「楽しみに待ってますよ。私のからあげクン4個分はサービスして頂かないと」
「じゃあ飯作りに帰るか」
「いやいや、貴方人のおやつ奪いに来たわけではないでしょう。何か用事があったのでは」
「お前の顔見に来ただけだけど?」
「……」
「?」
沈黙してしまったメフィストに、燐は首を傾げた。
「変な奴」
「どっちがですか」
残りのからあげクンの味がわからなくなったらどうしてくれる。
メフィストは残っているからあげクンを食べながら、夕食の差し入れに何を持って行こうかと考えを巡らせはじめた。
たまには、燐を喜ばせるのも悪くはあるまい。
end
2011/09/08
※紀州南高梅は2011年9月現在の限定味です。塩ダレもあったけど今回は遠慮して頂きました。
※書いている現在、一個増量キャンペーンはやってないです。
※青エク世界にローソンやからあげクンがあるかどうかなど知らぬ!
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